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新聞を読まないと知識が偏るって本当ですか?【雑記】新聞を止めて7ヶ月経って思うこと

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先日、久しぶりに再開した同期の友人とお昼を一緒した時のこと。

話題が新聞のことになって、アレコレ話しているうちに「なんかおかしくない?」と思ったことがありました。

いい機会なので、新聞を止めて7ヶ月経って今思うことも合わせて書いておきたいと思います。

photo credit: Dean Ayres via photopin cc

 

友人との会話

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photo credit: Hindrik S via photopin cc

友人と食事中、何かのはなしの流れで新聞の話題となりました。

そのとき、

「おれ、今年の正月から新聞とるのやめたんや。もともと毎日全部の記事を読んでたわけでないし、必要な情報はネットで見れるやろ」 

と言ったら友人はすかさず、

「それはあかんわ。新聞は読まないかんやろ。そうやってネットで十分やと思っている人って、結局自分に心地いい情報しか見ようとせんから、知識や考え方が偏るんやで」

と反論。

それに対して私は、

「いやいや俺は、普通に暮らしてたら情報が多すぎるから、情報の入り口を減らしたいねん。いらん情報が多すぎるやろ。それに新聞って誌面のほとんどが自分にとって興味も必要もない記事やもん。それに毎月定額でお金払うのバカらしいやん」

と新聞をやめる時に思っていたことを口にしました。

すると友人は、

「興味のない情報も目に触れるのに意味があるんや。ネットだけやったら自分に心地いい情報だけみて、自分の考えに反対の考えや、興味のない情報は見なくなるやろ。やから新聞はとらなあかんのや。」

と展開。

私は、

「その考え方は否定せんよ。新聞やテレビのええところはそこやと思う。自分では取りに行かない情報もごちゃまぜに流してくれるのはありがたいことやと思うで。でも、そのごちゃ混ぜの情報があまりにも多すぎるし、そのごちゃ混ぜで幅広い情報に見える情報の塊も、それ自体が結構偏ってたりするやろ。」

と言ったのですが、友人はそれでも「新聞は取らなあかん」の一点張り。

そもそも久しぶりにあった友人との他愛もない会話ですし、議論する必要もない(したくない)ので話題を変えようと思い始めていました。

どこまで行っても平行線ですし。

しかし最後に気になったので

「ところでお前、何新聞とってるの?」

と尋ねたところ

「朝日新聞や」

との答え。

散々私に「ネットでは自分に心地いい情報しか見なくなる。新聞とらな知識や考え方か偏る」と言った友人がとっているのが朝日新聞だったとは。

気分はスッキリしませんでしたが、なんだかアホらしくなってしまった私は、その話題はキッパリとそこでシャットアウト。

 
ちなみに、このあと日韓関係に話題がいったのですが、私は

「今の韓国とはむりに付き合う必要はない。時期がくるまで待てばいい」

と言ったら

「いや、隣の国とはなにがあっても仲良くせなあかん」のこれも一点張り。 

なんか君、偏ってないか?

ついでながら、この友人との会話の次の日、朝日新聞の従軍慰安婦記事の取り消し発表がありました。

偏っていないメディアなどない

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photo credit: carterse via photopin cc

私の実家は父が毎日新聞をとっていました。
だから、物心ついてから実家を出るまでずっと毎日新聞を読んでいました。

大学生の一人暮らしの時期は読売新聞。
阪神ファンなのに読売をとっていたのは、新聞勧誘の人がなぜか甲子園のチケットをサービスでくれていたからです(笑)。

就職、結婚してからは家では産經新聞をとり、職場では朝日新聞をとってくれていたので、毎日読み比べていました。

これはかなり面白かった。
新聞社によって同じニュースでもこれほど捉え方か違うのかと毎日驚きました。

しかし、一般紙が、特に政治面で会社の主張が鼻につくようになり、最後は日経新聞をとるようになったのですが・・・

当時の日銀のデフレ維持策を叩かない姿勢に疑問を感じはじめ、昨年末の安倍首相の靖国参拝批判を機に新聞を取るのをやめてしまいました。

こんなふうに新聞遍歴をしてきた私がわかったこと、それは

偏っていないメディアなどない!

ということです。

それは新聞社にしてもテレビ局にしても営利目的の企業である以上仕方がないこと。

テレビの情報バラエティ番組にやたらディズニーランドが登場するのは大口のスポンサーだから。
消費税アップに大々的に反対しなかったのは、新聞を定率減税の対象にしてほしいから。

誤解しないでほしいのですが、私はこういうことがあってもべつにいいと思っています。
それぞれ企業の事情があるでしょうし、思想的にも色々な立場があるのは健全な社会だと思うからです。

ただ、「メディアは公平な報道をする」と信じきって、流される情報を鵜呑みにするのは危険だということです。

でないと

「新聞を読んでないと知識や考え方が偏る」と言った私の友人のように、
「新聞を読むことで知識や考え方が偏る」という事態を招きかねません。

少なくとも、「これ、本当はどうなんだろ?」くらいの軽い疑問視と、適度な間合いは意識しておくべき何じゃないでしょうか。

大量の情報は必要か?

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photo credit: hira3 via photopin cc

私は今、意識的に情報のインプット側を絞るということをしています。

理由は単純に、「シンプルに生きたい」と強く思うようになったからです。

情報は何が、いつ、他のどの情報と結びついて化学反応を起こすか分かりません。
その意味で、大量のインプットは必要なのかもしれません。

しかし、現代の我々の生活は本当に情報にあふれている。
人類史上もっとも情報が氾濫している時代だと思います。

で、感じているのは、

いくら大量インプットが必要と言っても慢性的な消化不良状態で毎日過ごすくらいなら、意識的にインプットの断食をして、しかも良質のものだけ摂取するよう意識するほうがいいのではないか。

そういうライフスタイルに変えていくほうがいいんじゃないか、ということです。

時代とともにライフスタイルは変わります。

「新聞ぐらいは読んでおけ。ニュースぐらいは見ておけ。」という価値観は決して永遠の心理ではありません。

新しい技術の登場とともに、いずれ変わることでしょう。
もちろん、この価値観を否定もしません。

ただ、情報源の質や情報の内容や量について何も考えずにウエルカム状態でいることはちょっと考え直したほうがいいと思うだけです。

そして私は、世間の固定観念よりも、個人の目指すライフスタイルを優先している、ただそれだけのことなのです。
 
新聞を止めて7ヶ月経ちました。

今、生活はスッキリしています。

 

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