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自分の人生は自分で引き受けなさい【書評】曽野 綾子(著)『人間にとって成熟とは何か』 幻冬舎

おはようがざいます、人生修行中の一龍(@ichiryuu)です。

さて今日は、大御所作家、曽野綾子さんの本をご紹介。

すでにベストセラーとなっているようですが、含蓄のある上に大御所作家ならではの痛快さもあってかなりスカッとする人生論となっています。

 

【目次】
第1話 正しいことだけをして生きることはできない
第2話 「努力でも解決できないことがある」と知る
第3話 「もつと尊敬されたい」という思いが自分も他人も不幸にする
第4話 身内を大切にし続けることかできるか
第5話 他愛のない会話に幸せはひそんでいる 
第6話 「権利を使うのは当然」とは考えない
第7話 品かある人に共通すること
第8話 「問題だらけなのが人生」とわきまえる
第9話 「自分さえよければいい」という思いが未熟な大人を作る
第10話 辛くて頑張れない時は誰にでもある
第11話 沈黙と会話を使い分ける
第12話 「うまみのある大人」は敵を作らない
第13話 存在感をはっきりさせるために服を着る
第14話 自分を見失わずにいるためには
第15話 他人を理解することはできない
第16話 甘やかされて得することば何もない
第17話 人はどのように自分の人生を決めるのか
第18話 不純な人間の本質を理解する

【ポイント&レバレッジメモ】

★人間の心は矛盾を持つ

 私はニュージーランド政府が、外国のマスコミに見せたがる完壁に道徳的な国の姿をよく理解した。この国の姿は、世界中が、こうなるといいと思う理想の形態を既に取っていた。
 しかし私の心の五パーセントか、十パーセントほどの部分が、こういう国はほんとうに退屈だと思ったことも告白しなければならない。改めて言うが、私は泥棒も嫌だ。不公平な身分格差のある社会も嫌いだ。しかし、そもそも矛盾を含んでいる人間の心には、そうでない部分もあるのである。
世の中は矛盾だらけだ。だからいいことだけがいいのではない。時には悪いことも用意されていて、その中から選ぶ自由も残されていた方がいい。
 少なく,とも、社会の仕組みにおいては、いささかの悪さもできる部分が残されていて、人間は自由な意思の選択で悪を選んで後悔したり、最初から賢く選ばなかったりする自由があった方がいい。

★人生は想定外そのもの

 予期せぬことが起きるのが人生だ。まさに「想定外」そのものである。予期せぬという言い方は人間の分際から見た状態であり、神は人間の劇作家以上の複雑な筋立てや伏線を張った物語の展開の後に、その意図されることを示す、というのが私の感じである。
 人間の努力がなくていいわけではない。しかし努力でなにごともなし得るというわけでもない。そう思えることが、一人前の大人の状態だ、と私は思って来た。

★「自分の不運の原因は他人」と考える不幸

 つまり学問はできても、人間を理解していない人が職場に入ると、気の毒に当人は少しも満足せず、周囲がことごとく不満の種で、しかも自分は、世間と他人から実力を評価されていない不幸な人生を歩み始めてしまったと思い込むようになる。ほんとうにお気の毒なことだ。こうした不幸な人の特徴が、この頃私には読めるようになった。そういう人の特徴は、ことごとく「他罰的である」ということなのである。自分のせいでこうなった、のではなく、何でも他者が悪いのである。

★老人なのに成熟していない人

 自分の生涯の生き方の結果を、正当に評価できるのは、私流に言うと神か仏しかいな。だから他者に評価や称賛を求めるのは、全く見当違いなのだ。ばかにされることを恐れることほど、愚かなことはない。もし私がほんとうにばかなら、ばかにされるという結果は正当なものだし、他人が不当に私をばかにしたら、もしかすると別の人が、私をばかにした人をばかだと思うかもしれないのだ。
 だからそんなくだらない計算にかかずらわることはない。そういう人生の雑音には超然として楽しい日を送り、日々が謙虚に満たされていて、自然にいい笑顔がこぼれるような暮らしをすることが成熟した大人の暮らしというものだ。町の英雄は、決して他人の出世や評判を羨んだり気にしたりしないのである。

★この世で最高におもしろく複雑なものは「人間」

 この世で、最高に重要でおもしろく複雑なものは「他者」つまり「人間」で、その人たち全般に対する感謝、畏敬、尽きぬ興味などがあれば、常日頃「絡んだ絆」のド真ん中で暮らすことになっている自分の立場も肯定するはずだろう、と思う。地震があってもなくても、それが人間の普通の暮らし方というものなのだ。
 今まで、自分一人で気ままに生きて来て、絆の大切さが今回初めてわかったという人は、お金と日本のインフラに頼って墓らしていただけなのだ。身近の誰かが亡くなって初めて、自分の心の中に、空虚な穴が空いたように感じた、寂しかった、かわいそうだった、ということなのかもしれないが、失われてみなければ、その大切さがわからないというのは、人間として想像力が貧しい証拠だと言わねばならない。

★「権利を使うのは当然」とは考えない

 成熟した人間というものは、必ず自分の立場を社会の中で考えるものだ。昔はお互いの立場がもっと曖昧模糊としていた。社会は互助制度でもある健康保険などという制度も全く知らなかったし、困っている人を助けるのはマスコミなどというものもない社会の中で「そのこと」を偶然知る狭い範囲にいる知人だけだった。
 だからすべての援助の元は、個人の惻隠の情だけだった。国家も社会も、長い間、高額のお金を必要とする治療に手を貸そうなどという発想は全くなかった。
手 をさしのべる方も控え目なら、受ける方も充分に遠慮して受けるのが当時の人情であり礼儀だったのだ。それが人間の権利だから、堂々と受けた方がいい、などという言葉も信条もなかったのだ。

★遠慮という言葉で表される美学

 確かに不当な遠慮は要らない。不運や病気は当人の責任ではない場合も多い。生活習慣病は当人の責任だが、多くの感染症や遺伝的に起きる病気は当人のせいではない。
 そのような不平等を超えて、だから生まれて来た以上、生きることが人間の使命である。そして人間は生かされ、同時に他者を生かすことのためにも働くようになる。
ところが最近では、受けて与えるのが人間だという自覚は全く薄くなった。長い年月、日教組的教育は「人権とは要求することだ」と教えた。これが人間の精神の荒廃の大きな原因であった。
しかし少なくとも私は、「人権とは、受けて与えることです」と教えられて育った。<中略>
お世話になっていいのである。他人のお世話にならずに生きていられる人などいない。しかしどれだけお世話になったかを見極められない人には、何の仕事もできない。

★品がある人に共通すること

 品を保つということは、一人で人生を戦うことなのだろう。それは別にお高く止まる態度を取るということではない。自分を失わずに、誰とでも穏やかに心を開いて会話ができ、相手と同感するところと、拒否すべき点とを明確に見極め、その中にあって決して流されないことである。この姿勢を保つには、その人自身が、川の流れの中に立つ杭のようでなければならない。この比喩は決してすてきな光景ではないのだが、私は川の中の杭という存在に深い尊敬を持っているのである。<中略>

 品というものは、多分に勉強によって身につく。本を読み、謙虚に他人の言動から学び、感謝を忘れず、利己的にならないことだ。受けるだけでなく、与えることは光栄だと考えていると、それだけでその人には気品が感じられるようになるものである。
 健康を志向し、美容に心がける。たいていの人が、その二点については比較的熱心にやっている。しかし教養をつけ、心を鍛える、という内面の管理についてはあまり熱心ではない。どうしてなのだろう、と私は時々不思議に思っている。

★「問題だらけなのが人生」とわきまえる

 人生には安心して暮らせることなどないことは・・・何度も書いているのだが・・・東日本大震災とそれに続く原発事故の結果が如実に示した。いい年をして、そんな甘い夢を見ることはやめた方がいいのだ。
 人生は、常に問題が続いていて当たり前だし、不足に思うことがあって当然なのだ。むしろそれが人生の重さの実感だとして、深く感謝すべきなのである。<中略>
 人生の後半に、たぶん治癒はむずかしいと思われる病氣に直面したら、その病氣をどう受け止めるかを、最後のテーマ、目的にしたらいいのだ。
 もちろん、これはきれいごとで済む操作ではない。途中で愚痴も言うだろうし、早く死んでしまいたいという思いになる可能性もあるだろう。しかし苦痛や悲しみをどう受け止めるかということは、一つの立派な芸術だ。そしてそれを如何に達成するかは、死ぬまでなくならない、偉大な目的になるのである。

★諦めることも一つの成熟

 人間にとって大切な一つの知恵は、諦めることでもあるのだ。諦めがつけば、人の心にはしばしば思いもかった平安が訪れる。しかし現代は、諦めることを道徳的にも許さないおかしな時代になった。いつどの時点で、どういうきっかけで諦めていいのか、そのルールはない。その人の心が、その人に語りかける理由しかない。
 改めて言うが、できたら諦めない方がいい。<中略>しかしこの世に、徹底して諦めない人ばかりいると、私はどうも疲れるのである。できるだけは、頑張る。しかし諦めるポイントを見つけるのも、大人の知恵だ。<中略>
 諦めることも一つの成熟なのだとこの頃になって思う。しかしその場合も、充分に爽やかに諦めることができた、という自覚は必要だ。つまりそれまで、自分なりに考え、努力し、もうぎりぎりの線までやりましたという自分への報告書はあった方がいいだろう。そうすればずっと後になって、自分の死の時、あの時点で諦めて捨てるほかはなかったという自覚が、苦い後悔の思いもさしてなく、残されるだろう。

★存在感をはっきりさせるために服を着る

 服装は、軍隊のような特殊な集団でない限り、ほんとうは個の確立のためにあるのだ。つまりその人が目立つために装うのである。目立つということは「私はこう考えています」「私はこう振る舞います」ということの証でもある。礼装以外の軍服が目立たなくていいのは、兵は自己を主張して目立ってはいけない、集団の力を要求されるからだ。
 目立たない服装がいいということはない。それは恐怖心の表れであり、無思想の証拠でもあり、自己が未完成という弱さを表していることでもあるだろう。

★おもしろさは困難の中にある

 困難の中に楽しさもおもしろさもあるという単純なことさえ、平凡な暮らしを望み続ければ理解することができない。用心深いと言うより、小心な人の生涯は、穏やかだという特徴はあるが、それ以上に語る世界を持たないことになる。だから多分、そういう人は、他人と会話をしていてもつまらないだろう。語るべき失敗も、人並み以上のおもしろい体験もないからである。話のおもしろい人というのは、誰もがその分だけ、経済的、時間的に、苦労や危険負担をしている。人生というのは、正直なものだ。

【感想など】
◆達観
 本書は人間にとっての「成熟」とは何か?(タイトルのままやん)がテーマ。
このテーマで書けるのはやはり曽野綾子さんのような超大御所作家さんでなければならないだろうと思う。

ある程度人生経験を積み重ね、酸いも甘いも知った人でなければ、「お前が言うな」となってしまいますからね。

で、読んでいてやはり感じるのは、「酸いも甘いも…」とか、「清濁併せ吞む」とか、要するに余裕というか懐の深さというか器の大きさといったもの。

世の中の不公平な部分や、人生の不遇や、想定外の出来事などなど、面白くないことも含めて「これが人生さ」と楽しめる。

そんな”達観”した境地に到達することができたかどうかが、人間にとっての「成熟」を測る一つの指針なのだろうと思いました。

◆人生に対する厳しさ、そして、街の英雄たれ!
 そういった一種の”ゆるさ”を身につけることが「成熟」の一つの指針であると標榜しつつも、その過程の”人生”に対する姿勢は非常に厳しさを感じます。

本書の中で著者は

まず私の実感を述べておこうと思うのだがもし人生を空しく感じるとしたらそれは目的を持たない状況だからだと言うことができる。

そして

定年後、自分のしたいことを見つけていない人も、老人なのについに成熟しなかった人だと言っていいだろう。

と手厳しい。

このあたりは、さすがに若い頃から筆一本で生きてきた著者の凄みを感じます。

が、べつに著者は、起業して成功せよと言っているわけでも、何らかの道で大成功せよと言っているわけでもありません。

大小関係なく、志とか生きる目的をしっかり持って、それを追いかけたかということだと思います。

そしてその結果、できることならば、代わりが利かない存在、その人がいないと困る存在、ちっぽけなことでもその地域の英雄となれたなら、その人は「成熟」に到達した人ではないでしょうかと。(本書では豆腐屋のおばちゃんが登場します。)

もしそういった生き方をせずに年齢だけを重ねていっても、いつまでたっても「成熟」することはないのでしょうね。

◆魂年齢
 これは斉藤一人さんが言っていたと思うのですが、結局人間というのは肉体年齢の他に魂の年齢というものがあるのだろうと。

よく、歳を取ると子どもに帰るといいますが、確かに身近なじいちゃん、ばあちゃんを見ていると(過疎地域なので近所は年寄りがいっぱい)、子どものようにわがままな人をよくみかけます。

その一方、謙虚でいつも感謝の気持ちを表してくれる方もいます。

ワタクシの実感ではこの「わがまま老人」:「成熟老人」の比率は80:20。
ここでも80:20の法則は生きています!(笑)

できないことが増えていき、人生の残された時間が見えてくると、自然とわがままになるのかもしれませんが、魂年齢を加齢する生き方を常々心がけたいものですね。

◆痛快
 最後に蛇足ながらAKBに関する記述が面白かったので引用します。

これは曽野綾子さんのお友達の言葉ですが、

「どのチャンネルを廻しても、幼稚園生のお遊戯みたいなのばかり見せられてうんざりだつたわ。うちの孫のお遊戯褒めるだけで手いっぱいで、とてもテレビの番組でまで楽しむ余裕ないのよ」

著者もこの言葉に笑い転げたそうだが、さすが曽野さんのお友達も「達観」しているのでしょう。

もっとも、曽野さん自信のAKB評、いや、秋元さんへの批評はさらに厳しい。

AKB48については、その企画者は利口な人だと言わなければならない。<中略>  AKB48の場合はもっと動機が不純だ。一人の芸では、到底観客の期待に応えられないから、数を揃えて見せれば、若さという素材だけで金になる、という計算が見え見えである。

と、バッサリ。

こういった、「思っていても言えないこと」をハッキリ表現できてしまうのが大御所曽野綾子さんならではのこと。

”代わりが利かない”存在なのです。

まったくレベルは違うけれど、言葉で表現するものとして、この高みを目指したいなぁと、一つ生きる目的をいただきました。

本書は幻冬舎、編集者の四本様より献本していただきました。
ありがとうございました。

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