まいぷら

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今だからもう一度確認しておきたい、終戦から独立までの歴史の舞台裏




おはようございます、一龍です。

戦後70年の区切りの年の夏。
終戦記念日がまたやってこようとしていますが、今年は安保法案や辺野古の基地移転問題など、憲法論議や安全保障のあり方に関心が集まっていて特別な雰囲気を感じます。

ちょうどそんな折に発売された隂山克秀さんの新刊 『やりなおす戦後史―――本当はよくわかっていない人の2時間で読む教養入門』は、戦後日本の歩みを通して学ぶのにとてもいい教材です。

今回はその中から終戦直後のGHQ占領政策からサンフランシスコ講和条約で主権を回復するまでの中で、今話題になっている憲法や安保関係を中心にポイントをピックアップしてみました。

 

GHQ占領政策から主権回復までのポイント


GHQはなぜ日本を「民主化」しようとしたのか?


GHQはなぜ日本を「民主化」しようとしたのでしょう。

 それは、民主化が軍事的には「弱体化」を意味するからだ。
と、著者は言います。
 
 民主化ととは「全人民を主人公にする」ことだから、独裁者の出現を許さず、国民すべての声に耳を傾ける政治になる。理想的だ。でもそれはリーダーシップの不在につながり、軍事的には弱体化になる。
 一億人全員に言うことを「聞かせる」国と、全員の言うことを「聞いてやる」国、どっちが怖いだろう?明らかに前者だ。しかも民主化は「絶対正義」だから、誰からも反対されず、むしろ世界から賞賛される。当の日本にまで感謝されるだろう。やっていることは「軍事的去勢」なのに。
 というわけでマッカーサーは、この際日本の戦闘力を徹底的に削ぎ落とす狙いで、日本で一連の民主化改革を実行したのだ。
こうして軍隊の武装解除に始まって、財閥の解体、農地改革、憲法改正象徴天皇制、民主教育などなど徹底した民主化が行われていきました。

これらの改革から逆に見れば、当時の日本は

「強い求心力のあるリーダーの下、強力な軍事力を持つ政府が、野心的に市場拡大を狙う財閥と結託して植民地の拡大を図り、国民生活を統制する国家」

という風に見られていたことがわかります。



★日本民主化計画の裏の理由


 GHQが日本を民主化した裏の理由として、日本には2つの利用価値があったからだといいます。

1つ目は

 まず、植民地としての価値。戦前の日本には、軍需産業から発展した高度な技術力があった。ならばゆくゆくは、アメリカが欲しい工業製品を作らせ、アメリカで余った食料を買わせるなどすれば、かなり利用価値の高い植民地にできる。

そして2つ目は 

 また、アメリカの意識として、来たるべき「冷戦」への備えとして日本がほしかったというのもあった。冷戦とは、アメリカを盟主とする資本主義陣営と、ソ連を盟主とする共産主義陣営の対立構造のこと。1917年にロシア革命が起こり、その後ソビエト連邦ソ連)へと変わったロシア改めソ連は、マルクスレーニンの思想を受け継いだ歴史上初の共産主義国家として、アメリカと肩を並べる大国になっていた。
 イケイケのソ連は、すでにやる気満々だ。東欧を共産主義化してファミリーも増やしたし、樺太・千島・満州ルートも押さえた。なら、アジアでの対立激化に備えて、ちょうどいい場所に「反共の砦」は必要だ。
要するにアメリカは自国の国益のために日本を民主化したわけです。



★わずか9日間で作られた!?


1945年10月、幣原喜重郎内閣はマッカーサーから憲法改正を示唆れます。
これを受けて松本烝治国務大臣憲法問題調査委員会の長に任命して改正案を検討させます。
そしてできた改正案がいわゆる「松本案」ですが、この改正案はGHQに提出する前に毎日新聞にスクープされ、その内容が明治憲法と変わらないものだったのでマッカーサーは提出前に門前払いにします。

 GHQは松本案に門前払いを食らわせた後、「仕方ないから、我々が代替案を作る」と日本政府に伝え、なんとそれからわずか”9日後”に憲法改正草案(マッカーサー草案)を日本政府に提出したのだ。
たった9日で憲法草案ができるのでしょうか?
この事実から著者は次のように推測します。

 おそらく松本案より前にマッカーサー草案は「完成していた」か、あるいはかなりシナリオが固まっていたのだろう。でも、それをそのまま出したのでは、植民地化のニュアンスが強くなりすぎる。
 そこで「敗戦国にも憲法作成の権利を与える心の広いアメリカ」を演出するため、日本政府に松本案を「却下すること前提で作成させた」のではないか。つまり日本政府案は、最初から採用する気がなかったということだ。
もちろん証拠がないため推測の域を出ませんが、現在の日本国憲法は国会の決議を経ていても、その骨子の軸をなす部分は「made in USA」なのではないでしょうか。




GHQの内部対立 GSとG2の対立


GHQの基本方針は「日本の弱体化」でした。
しかしその方針は途中で方向転換します。

理由はGHQ内部にある2つの部署の対立、いわゆる「民政局(GS)」と「参謀第2部(G2)」の対立です。

最初に力を持ったGSはコートニー・ホイットニー准将が局長を務めていました。

「日本はどうやら、保守的な思想が軍国主義につながったらしい。ならばその逆の”革新”を指向すれば、相当弱体化できるはず。この際いろいろ試してみよう」
 ホイットニーはこう考え、日本国憲法をはじめ、労働組合の育成、政治犯として投獄されていた日本共産党幹部の釈放、社会党片山哲の首相推薦と、保守派が絶対やらないような政策ばかりを実施した。
しかし、このGSはあまりに権力が集中し、日本の企業や政治家からの汚職や賄賂が集中したため権力を失っていく。

 新しく伸びてきたG2はGHQ内の保守派で、”対冷戦の情報機関”的な部署だった。こちらのトップはチャールズ・ウィロビー少将。強固な反共産主義者として知られていたウィロビーは、アジアにおける社会主義の台頭を脅威に感じ、トルーマン大統領に日本を「反共の砦」として利用するよう進言した。
 この方針転換がきっかけで、日本はアメリカ・ファミリーに迎えられることになり、アメリカのために役立つ駒になるべく、がっつり体力をつけ直させてもらうことになった。いわゆるGHQの”右旋回”だ。
ちなみに

 GHQではこの後G2が実権を握り、それと同時にウィロビーととても「仲よく」していた吉田茂が首相になり、ここから弱体化とは逆の方向、すなわち”戦後復興”が本格的に進み始めるのだった。


マッカーサーのご乱心とGHQの方向転換


GSとG2が激しく権力争いをし始めてからマッカーサーはすることがなくなってしまった。
このころからマッカーサーは帰国してアメリカ大統領になることを本気で考えていたようです。

その結果、占領政策に身が入らなくなり、GSやG2、それとトルーマン大統領の占領政策に逆らわなくなりました。

しかし、1947年の大統領予備選でかれは落選してしまいます。

 結局、1948年の大統領選は、マッカーサーだ嫌った民主党トルーマンが再選された。マッカーサーは再び日本の占領政策に没頭し、自らが「労働の民主化」を進めた日本で、公務員から争議権を奪い団体交渉権を厳しく制限する「政令201号」の公布を指示し、労働組合活動を弾圧した。

こうしたなかで勃発したのが朝鮮戦争(1950年)でした。
当然、軍人であるマッカーサーははりきります。

 でも、米軍がお留守になると、今度は日本で革命騒ぎが起こるかもよ。よし、ならば日本に強めの警察組織をつくらせて留守を守らせよう。幸い日本はもはやアメリカに刃向かったりしなさそうだし、反共の砦にするなら軍事力も必要だ。しかも、復員兵たちの雇用確保にもちょうどいい。奴らをほっといて共産党員になられても困るしな。
 こういった流れでマッカーサーは日本に「警察予備隊」の設置を指示し、ここに日本の再軍備が始まったのだ。

この結果、75000人の雇用が生まれ、朝鮮特需で景気も回復、公職追放も解除される。
マッカーサー自身はこのあとトルーマン大統領に解任されるが、日本はマッカーサーに経済力だけでなく軍事力も身につけさせてもらったのです。



★夜中にこっそり結ばれた運命の日米安保条約


調印場所はサンフランシスコ講和条約がオペラハウスで調印したのとは対照的に、当時サンフランシスコのプレシディオ国立公園内にあった「下士官クラブ」。
米軍将校用の酒場だ。

吉田茂随行したのは池田勇人だけ。
なぜこんなにこっそり夜中に日米安保条約は結ばれたのでしょう。

それはこの条約が、おそらく日本国内ではすこぶる評判の悪いものになるであろうことが、わかっていたからだ。
 だって、日本の安全保障をアメリカに委ねるかわりにアメリカに基地を提供するなんて、独立国家としてはあり得ない。

 そもそも、独立した主権国家の中に外国軍隊がウロウロしているなんて、本来あってはいけないのだ。でもそれが起こっている。なぜか?それは同条約が、事実上「占領政策の継続」だからだ。

日本が独立国家としての誇りを捨てることで、その見返りにアメリカが日本のガードマンになってくれるという契約が日米安保条約なのだ。

だから吉田は池田勇人に「この条約には私一人が署名する。君は書かんでいい。君の経歴に傷かつくぞ」と言ったそうです。


 では吉田茂は、なぜこんな条約に署名したのだろうか?それは彼が”通商国家”としての日本を目指していたからだ。
 通商国家で世の中を渡っていくには、できるだけ身軽なほうがいい。だから吉田は、軍隊という「高コストの組織」はアメリカに任せて、できる限り”節約”できる道を選んだのだ。対してダレスは、「我々の望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利」をほしがっていた。
 ここに両者の思惑は一致し、吉田一人による日米安保条約締結にいたったのだ。
この吉田茂日米安保条約と引き換えのサンフランシスコ講和条約という決断には、現代でも賛否両論あります。

が、私個人としてはその時代の政治家としてはこれが限界であり最高の決断だったのではないかと思っています。

魂を売り渡してでも独立を最優先した。
その結果、アメリカの加護の下、奇跡的な経済発展をしたわけですから。

ただし、そろそろ独立国家としての魂を取り戻す時期が来ているんじゃないかとも思っています。





感想とまとめ


本書は終戦直後の1945年から現代までの70年間を、政治・経済・軍事からストーリー形式でわかりやすく解説してくれています。

一通り読めば日本の戦後史の総おさらいとなる本です。
戦後史の入門書として読むのもいいと思います。

僕は世代的にオイルショックはなんとなく覚えている世代なので、それより以前は勉強のつもりで、それ以後は懐かしいなぁという感じで読ませていただきました。

特にバブル期は大学生で、何も考えずにバブルを謳歌していた裏ではこんな政治が展開されていたのかと感慨深いものがありました。


さて、今回は時期的にもタイムリーだったので本書冒頭部分の1945年からサンフランシスコ講和条約を締結して独立するまでのトピックスから印象的だったものをピックアップしました。

本書を読んで思ったのは、現代の安保法案賛成派も反対派も、米軍基地移転に賛成派も反対派も、いま一度終戦から独立までのGHQの政策と日本政府のやってきたことを冷静に振り返って欲しいということでした。

この国は大国の都合で70年前に牙を抜かれ、徹底的に調教され、狼から飼い犬にされた国であることを。
その調教の産物である憲法9条をお題目のように唱えるだけでは平和を維持できるはずはないし、かといって「あなたの戦争に巻き込まれてあげるから、お願いだから撤退しないでもとしっかり守ってください」的な安保法案がいいとも思いません。

戦後70年、節目の年に当たるいま、これからの国の進む方向を考える上でも、本書でもう一度これまでの国の歩みを振り返るのはいかがでしょうか。


◆まとめ


GHQによる民主化政策は日本の弱体化が目的だった。

マッカーサー憲法草案はもともと準備されていた。

マッカーサーの”乱心”が日本に経済力と軍事力をつけさせた。

吉田茂は”通商国家”を目指して日米安保条約を結んだ。





本書はダイヤモンド社、市川様から献本していただきました。
ありがとうございました。


目次


はじめに
第1章 今の日本を作った米軍占領下のシナリオ [占領下]1945〜1952 
第2章 協調か独立か?日本の行く末をめぐる攻防戦 [50年代]1953〜1960
第3章 高度経済成長と荒れ狂う学生運動 [60年代]1961〜1972
第4章 経済大国を裏で操る金と権力の政争ドラマ [70年代]1973〜1979
第5章 金で世界を買い占める昭和バブル狂騒 [80年代]1980〜1989
第6章 崩れ落ちるバブル経済と新時代への政界大再編 [90年代]1990〜2000
第7章 塗り変わる世界勢力図と揺れ動く日本 [2000年代]2001〜現在
おわりに




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