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盲ろうの東大教授、福島智さんから教えられた”生きるとは何か”

おはようございます、一龍です。

今日ご紹介するのは、表紙にもあるように、9歳で失明し、18歳で聴力も失った盲ろう者の東大教授、福島智さんの著書『ぼくの命は言葉とともにある (9歳で失明、18歳で聴力も失ったぼくが東大教授となり、考えてきたこと)』です。

大変なハンディキャップを背負った人だからこそ到達できた、”生きるとは何か”という考察に胸を打たれます。

 

盲ろうの東大教授、福島智さんの”生きるとは何か”のポイント

 

★与えられている命を投げ出すことは生きたくても生きられなかった人たちへの冒涜である

 

 2013年11月初旬のこと。フィリピンを猛烈な台風が襲いました。私はそのとき、偶然フィリピンにいました。「ヘレン・ケラー世界会議」という4年に一度の国際会議がフィリピンでで開催されていて、30数カ国から盲ろう者やその関係者が集まっていたのです。

 

 今振り返っても、あの台風の体験はとても不思議な感じがします。生きるうえで非常に困難な状況を抱えながら、他者の手で何とか生きてきた人たちが、世界各国から集まって無事に過ごしているかたわらで、心身ともに健康な人たちであっても、理由もなく高潮にさらわれて命を落としてしまう。一体この現実はなんなのかと思ってしまうのです。
 もちろん、こうした現象自体の捉え方にはいろいろあるでしょう。しかし、私が一つ痛感したことは、与えられている命を自ら投げ出してしまうようなことは、例えば、突然災害などに見舞われて命を奪われてしまった人たちに対する一種の冒涜なのではないかということです。

★「絶望=苦悩ー意味」

 

 フランクルの『意味への意志』という講演録をまとめた本を読みました。
 この『意味への意志』も彼のアウシュビッツでの体験をもとにした内容になっています。自らの体験から、例えば彼が「この世には意味がある」と考えるに至った理由が述べられています。
 私はこの本の注釈の部分で、次のようなフレーズにたまたま出会いました。

「絶望=苦悩マイナス意味。つまり、絶望とは意味なき苦悩である」

これを読んだ瞬間、点字を読む私の両手の人差し指の動きが一瞬止まったと思います。そして、「これはすごい公式だ」と衝撃を受けました。なぜなら、この短い公式がフランクルの思想の中核を端的に表していると思われたからです。
 この公式でフランクルは、苦悩は絶望とは違うものであって、苦悩には意味があることを示しています。

★自分に生きる意味はあるのか

 

 自分が納得すること、つまり自分の状態に「意味」を見出すことが救いになるのだと思います。人にとって意味を持つということは、生きていくうえでとても重要なものなのです。

 

 確かに、いったん生きる意味が見出だせなくなったとき、再び意味を見出すのは簡単ではないかもしれません。でもそこで完全に失望してしまうのではなく、そのつらさ、苦しさ、あるいはむなしさ自体にも意味があり、それがひいては生きる意味にもつながっていくのだと自身に言い聞かせる言がたいせつなのだろうと思います。

★後ろ向きで後ずさる、逆転の発想でぼちぼち前進

 

 ただし、そういうときには私なりの作戦があります。もし自分が後ろを向いてしまったなと思ったら、へたに動かないことです。進むべき方向がはっきりするまで、あるいは進むためのエネルギーが満ちてくるまで、じっとそこで埋伏しながら待機するということです。
 もう一つあります。どうしても後ろ向きになってしまったら。そして、どうしても直接には前に進めない、という状況になったときは、どうするか。そのときは、「後ろ向きになったまま、後ずさりする」という裏技があります。こうすれば、結局、ゆっくりですが、前進することになります。

★豊かな先進国にしか「自分らしさ」を求める人間は存在しない

 

 今の日本人は、自分が満たされていないと感じるから幸福とはどういうことなのだろうと考えるのでしょう。普通であれば、衣食住が足りている社会に暮らしているだけで十分と考えるところですか、豊かさに慣れてしまった人間はそれだけでは満たされないようです。だから、いかに生きれば幸福感を得られるのかを考えるのでしょう。「自分らしく生きよう」などと、気負ってあまりおおげさに考えず、もっと肩の力を抜けば、また違った生き方が見えてくるのではないでしょうか。

★ともかく生きている、それだけで人生のテストで90点を取れている

(2008年5月にNHKテレビの『課外授業 ようこそ先輩』にて)
 その後で、私は子どもたちと問答をしました。そのとき、一人の子どもと次のようなやり取りをしました。以下は、番組の内容を文字おこししてもらったものの一部です。

眼鏡を掛けた女の子:「人生の中で、一番、よかった事は?」

(画面:指点字を受ける福島さんの手のアップ)

福島:「人生の中で一番、よかった事?難しいなあ!」

(画面:頬杖をつきながら、考える福島さん。困ったような顔で笑っている)

福島:「やはり、僕が生きている事。これは、ほんと奇跡的な事。生きていて、とてもそれはよかったなというふうに思っています」

(画面:笑顔の福島さんのアップ。すぐ画面が切り替わり、生徒たちとの集合写真。黒板の前に4列に並んでいる。楽しそうに笑っている子どもたちの笑顔)

番組では紹介されていませんが、そのとき、次のような意味のことも子どもたちに言ったと思います。
「何があっても生きていれば、人生というテストに80点から90点は取れたようなものじゃないかと思います。だから生きていけるといいね」

★生きることそのものが重要

 

 いかに生きるか、どう生きるかということも、もちろん重要だと思います。しかし、それは命の一割ぐらいにかかわる話であって、残りの9割ぐらいは生きることそのものだと言っていいのではないでしょうか。ところが私たちは、この1割をめぐってクヨクヨと悩んだり後悔したりしています。その1割が重要だともいえますが、その1割がなくても生きているだけでいいじゃないか、という見方もできると思うのです。

感想など

 

◆生きることそのものが重要

本書を読んで新鮮な感動を覚えました。

ちょっと偉そうなことを書きますが、僕は生きることの意味について自分なりの答えを持っています。

そのきっかけとなったのは、このブログでプロフィールにも書いていますが、2006年に大きな手術をした時でした。

脳腫瘍が見つかって、放おって於けばいずれ植物人間になって最終的には死ぬと宣告され、手術を決意するのですが、摘出手術をする脳の場所は、重要な神経が集まっていてかなり難しい場所だったため、様々な後遺症が残ることが予測されました。

今、医療の現場では説明責任があるため、手術前に発生する可能性のあるありとあらゆる後遺症について説明を受けるのですが、あれは精神的によくないですよね。

手術前日の夜はもう怖くて怖くて逃げ出そうかと思うくらい。

ただ、ここで説明しておくと、この時怖かったのは死の恐怖ではありませんでした。

僕は不思議と死ぬことは怖くなかったのです。

僕が一番恐れたのは、手術後後遺症のため「体が動かなくなったらどうしよう」、「寝たきりで何もできなくなったらどうしよう」というものでした。

今思えば、説明責任があるため医者も仕方なくいろいろな後遺症の可能性を説明したのでしょうが、脅しすぎのものもあったと思います。

ですが、あの時はそんなことを考える余裕もなく、「話せなくなったらどうしよう」「半身不随になったどうしよう」そして「植物人間になったらどうしよう」などといった恐怖におののいていました。

そんな思考の中でふと「その時は死んだらいい」と思ったのです。

そうすると、それまで怖くて怖くて仕方がなかった精神状態が、ウソのように軽くなりすっきりしました。

志を遂げることが不可能な体になったら、潔くこの人生を諦めよう。

そんなふうに思ったのでした。
(もっとも、植物人間になったら自分で死を選ぶこともできないのですが。)

ですから本書でフランクルの

絶望=苦悩ー意味

この公式に出会ったとき、ストンと腑に落ちました。
まさに意味のある人生を生きられなくなったとき、人は絶望するのだと。

誤解しないで欲しいのは、僕はけっして自殺を推奨しているのではありません。

ただ、「生」というものの中には、「死」を選ぶ選択権があると思うことで楽になったのです。

この感覚は、先日紹介した 『悔いのない人生 死に方から生き方を学ぶ「死生学」』 で、『葉隠』の一文に「我が意を得たり」と思える箇所に出会いました。

 

www.s-ichiryuu.com

 

「死身の覚悟」をすることは、

死すら選択可能な行為だと考えることで、どんな束縛も突破でき、自由になれる

まさにこの境地でした。

ですから、あの死を覚悟した手術前夜以来、「死の選択権は自分の中にある」と思っていますし、そう思うことで逆に人生を充実させようとも思うようになりました。

僕にとっては「死身の覚悟」が、人生にプラスに働いているのです。

ところが、本書で福島先生の「生」に対するストレートな姿勢。
すなわち、「生きることそのものが重要」という考え方にはガツンとやられた気がします。

逃げていない。

死を選ぶことで自由になれるというのは、ある意味一つだけ逃げ道を残した生き方ではないのかと思えたのでした。

「生きる意味」とか「どんなふうに生きるか」というのはもちろん重要なことだし、この部分に意味を見出すのが人間が人間たる所以だと思います。

ですが、純粋に「生」という営みそのものからすれば、それらは大したことではないのかもしれません。

何がどうあろうとも「生きる」こと。

これこそが僕たちが全うしなければならない、シンプルでありながら難題な課題なのだと、本書から目を開かされました。

生きる意味なんて、もしかしたら考える必要もないのかもしれません。
とにかく生きること。

僕の死生観に大きな変化を与えてくれた本でした。

本書は致知出版社様から献本していただきました。
ありがとうございました。

目次

プロローグ 「盲ろう」の世界を生きるということ
第1章 静かなる戦場で
第2章 人間は自分たちが思っているほど強い存在ではない
第3章 今この一瞬も戦闘状態、私の人生を支える命ある言葉
第4章 生きる力と勇気の多くを、読書が与えてくれた
第5章 再生を支えてくれた家族と友と、永遠なるものと
第6章 盲ろう者の視点で考える幸福の姿
あとがき

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