おはようございます、一龍です。
今日ご紹介するのは「日本一感動する花火大会」といわれる長岡まつり大花火大会において、伝説の花火師といわれる嘉瀬誠次の物語。
その花火は観る者のを涙させるという。
はたしてその涙の理由とは?
はじめに
帯のコピーに「なぜ、花火で泣けるのか?」とあるように、長岡の花火大会は”泣かせる”らしいのです。
見たことがない私には、
なぜ花火を観て泣いてしまうのか?
観客を泣かせるほど感動させる花火とは一体なんなのか?
と、戸惑ってしまうのですが、まずは本書の主役、”伝説の花火師”こと嘉瀬誠次氏の言葉から、その魂が垣間見れるポイントをピックアップしてみました。
伝説の花火師、魂のポイント
★精魂込めて一発勝負のものをつくる
「おらは、妻のためにがんばろうとか、全く考えてねえがて。職人として、花火師として、男としてさ、最高のものを作る、それだけらった。妻とか、親父とか、子供とか、そんなのはどうでもいい。精魂込めて、一発勝負のものをつくっただけんがら」
★日本流を通す
「外国で打ち上げる時は、花火玉を予算よりも多く持っていくがら。現地で花火を打ち上げる筒が足りないといったことも、準備段階では予想できないことが多い。だから請け負った金額以上のものを持っていく。
それで、もっといいものを、と思って打ち上げてきた。外国へは日本の代表として行くものと思ってたがら。外国へ行って、外国人を喜ばすのに、あぐらをかいてたら駄目らし、よその国のやり方を真似したら絶対、駄目ら。日本流のやり方を一生懸命に通すしかねえ」
★しんなりと開く花火
「職人仲間の中には、色の変化があって、美しく、ぱっと素早く消えるのがいいと言う者もいる。だけど花火ってのはさ、作る人の性格が出るがら。気の短い人が作るとせっかちに燃える。おらは、ゆっくりと、しんなりと開く花火が好きらいな」
★ロマンチスト
「技術よりも、もっと大事なことがある。ロマンみたいなもんかな。花火は夜の空に一瞬に開いて消える儚いもんらすけ、花火師がロマンチストでないといいのが作れないと思う。
だすけ、花火師も人生経験ってのが大事らと思う。若い頃からいろんな経験をして、たまに火遊びもしてね(笑)。そういう経験があって初めてロマンチストになれる気がするいの」
★鎮魂の花火を上げたい
一通りのセッションを終え、司会者から質問があった。
「嘉瀬さんは、世界各国で花火を上げてこられましたが、次はどこで上げたいですか」
聞かれた嘉瀬は、虚を衝かれた顔をして、黙りこんだ。その沈黙に引きずられるように会場にも静寂が広がった。
暫くして、嘉瀬はゆっくりと答えた。
「シベリア、アムール川で花火を上げたい。おらは、戦後、シベリアに抑留されていたんです。おらは生きて帰って来られたけど、帰って来られなかった仲間のために、鎮魂の花火を上げたいと思います。」
そう言った嘉瀬は、一瞬、自分の言葉に驚いた表情をした。
★二十二年後の回想
「『白菊』を見ながら、実際には目に見えないけども、このシベリアのどこかにいる戦友のことを思い出して、『中村君、花火見てるか・・・小林君、花火見てるか・・・』って心の中で言ってたがら。でもおら、それで、胸のつかえが取れたいや。皆さんに花火を上げさせてもらって、現地の人にも喜んでもらって、戦友も喜んでいるろ。
ただな、花火を上げ終えて帰る時は、『嘉瀬、おめえ、帰るがか』って、中村君や小林君に言われてるような気がしたいね。後ろ髪引かれる気持ちで戦友と別れて、とぼとぼと帰ってきた。また、俺ばっか変えるがかと思ったら、本当に申し訳ねかった。行く時は『いざ』って気持ちらったろも、帰る時は、悪いなあって気持ちがした。でも、戦友に花火を見せてやれたことは、いかったいや」
★日本人としての矜持
「おら、90年にハバロフスクに行った時に、赤レンガの建物を見て思い出したことがあった。おらたち、日本人捕虜が抑留中にいい加減なものを作ったら、あとで『これは日本人が作ったものだ』と言われて、笑われてしまうろ。それは嫌らいや。腹へってても、無理してでも、ちゃんと立派なものを作ろうって気持ちがあったがらいや。だから、ハバロフスクへ行ったら、日本人抑留者たちがどういうものを作ったか、ちゃんと見てこいや」
★長岡と戦争と花火
「わたしは長岡空襲を見ていません。どんなもんらったか、話でしか聞いたことはねえですが、花火ってのはね、”わぁ〜、きれいだな・・・”っとさ、無になれるんですいね。花火を見てる間は、みんないろんなことを忘れられるんです。
もちろん空襲で酷い目にあった人からみりゃ、なんだと思うかもしれんけど。でも、花火ってのは、そういう力があるんですね。燃えて、何にもなくなっても。
だすけ、あの時、長岡は花火が必要らったんだと思う。立ち上がるために、火が」
「火ってのはね、人間を鼓舞します。火を使えるのは人間だけからさ。火が上がる花火ってのは、人を元気づけるんじゃねえかなぁ。おら、花火師として、ずっとそう思ってきたがら」
感想
◆鎮魂の花火
とにかく観てみないことには話にならないので、YouTubeから探してきました。
タイトルの「白菊」は長岡空襲の戦災犠牲者のための鎮魂・慰霊の花火なのだそうです。
死者に手向ける白い菊の花のように、汚れなく無垢で、楚楚とした美しさと強さを感じさせる大輪の白い花火。
これを生み出したのが本書の主役、嘉瀬誠次さんなのです。
◆戦争、シベリア抑留、そして鎮魂
素晴らしい仕事をする、桁違いの作品を生み出す職人さんに出会った時、私は凄く惹き付けられるのですが、それと同時に「どういう人生経験を積んできたら、こんな作品ができるのだろう」といつも知りたくなります。
私は長岡花火大会はニュースでしか見たことがなく、「白菊」も今回本書を読んでからYouTubeで観ただけです。
ですが、「この花火は違う!」と、鳥肌が立ちました。
YouTubeの小さな画像でもそう感じるんだから、本物を観たら絶対泣くと思います。
嘉瀬さんが生み出した「白菊」をはじめとした花火にはなぜそれほどまでに人を感動させるのか。
そこには嘉瀬さんの壮絶な戦争とシベリア抑留体験があるのでした。
特にシベリア抑留体験は、その後のアムール川で戦友の鎮魂のための花火打ち上げへとつながるキーポイントとなる部分です。
生と死が隣り合わせの極限の生活が、「伝説の花火師」誕生には欠かせない人生体験となるのです。
人は自分の力ではどうしようもない状態に置かれた時、それも死以外に自由になる方法がないという経験をした時、魂の深いところでその後の人生の意味を刻み込まれるのかもしれません。
その魂がこもった作品は何かが違う。
たとえ同じ材料同じ製法で作ったとしても、もっと言えばそっくりコピーの品質的には100%同じ作品でも、人を惹きつける何かが違うのです。
そして、人にはその違いを感じる力があるのだとも思います。
人生は必然とよく言いますが、当事者にとってはあまりにも過酷な体験であったシベリア抑留も、”伝説の花火師”そして「白菊」を生み出すために必然だったのかもしれません。
そう思わせるのが、嘉瀬氏の「次はどこで花火を上げたいか」の質問に対する嘉瀬氏の答え。
あれはきっと戦友たちが言わせたのでしょうね。
「シベリアでの体験で白菊ができたんだから、俺たちにも見せに来てくれよ」と。
◆ロマンチストになろう
最後に、嘉瀬さんの言葉で印象的だったのが「ロマンチストでないといいのがつくれん」という言葉でした。
花火師の嘉瀬さんが「火遊び」と言う言葉が出て、ちょっと笑ってしまいましたが、そういえば私の知り合いの陶芸家が「陶芸は大人の火遊び」といいながら窯をたいていたのを思い出しました。
まぁ、世間一般的には「火遊び」はよろしくないわけですが、職人さんや芸術家、芸能人の「火遊び」には寛大な雰囲気であってほしいなと思います。
そういう空気の国家って、文化が成熟しているなという気がするからです。
すべてのクリエイターたちよ、ロマンチストになろう。
ほどほどに「火遊び」もしてね。
本書は東京天狼院さんで購入しました。
上京して天狼院さんでくつろいでいたとき、著者の山崎まゆみさんがその夜行われるイベントのために来店。
実は私、山崎さんが「BE-PAL」で露天風呂の連載をされている時からの大ファンでございまして、その場で著書を購入、サインもいただきました。
写真で見るよりも目がクリクリしていて、めっちゃキュート!
いやー、御本人と会えるなんて、すごいうれしい。
このサイン本、家宝にします!
目次
プロローグ 「涙の理由」を探して
第1章 伝説の花火「嘉瀬の白」
第2章 花火師とシベリア抑留
第3章 アムールに咲いた「鎮魂の花」
第4章 2013年冬、ハバロフスク
第5章 雪国に舞う「不死鳥」
エピローグ 嘉瀬さんと私
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