○越後の上杉謙信は、そうした雑兵たちを毎年のように関東へ引き連れ、やりたい放題の略奪行為を暗黙のうちに了解していた。そして、捉えられた女や子どもたちを人身売買市で二拾銭、三拾銭といった安値で売り、越後の雪が溶け出すまで春中は関東で過ごし、略奪と人身売買に専念していた。しかも、謙信自らの指示によって人身売買市が行われていた。
雑兵たちは関東へ出て行きさえすれば何とか食えたし、手当たりしだいの略奪によってたっぷりと儲けることもできた。関東管領上杉謙信の関東遠征は、まさに「略奪遠征」だったと言われる。
○「不正で暴虐な戦争」とあるように、富を得るためには人の財産を略奪して持ち去り、人間も商品として売買していたのが戦争の実態だった。戦時下ではこうした行為がしっかりと正当化され、「刈り働き(略奪)」とか「焼き働き(放火)」といった戦功の見本例まで示されていた。富のない者たちは、こうした正当化された傘の下で、正々堂々と「不正で暴虐な戦争」を繰り返していたのだった。これが戦国時代の戦争の実態だった。
○「われわれの間では、土地や都市や村及びその富を奪うために戦う。日本では、ほとんどいつも小麦や米や大麦を奪うためにおこなわれる」(ルイス=フロイス)
○「街や村に住んでいるキリシタンは全員、妻子と共に城に立て籠った。なぜなら、日本での戦争の仕方は、いっさいのものを火と武器(の犠牲)に供するからで、誰一人見逃されず、町といわず、村といわずその住民は近くの最も安全で堅固な城塞に引き籠る以外に、救われる道はなかったのである」(ルイス=フロイス)
○「貧しい村人たちは、米、衣類、台所用品など、わずかな持ち物を地中に埋め、女たちはせめて子供の生命だけでも助けようと、泣きながら城に逃れた。しかし、城内には家屋も薪も食べ物もあるわけではなく、ちいさな井戸はたちまち涸れてしまい、一面ぬかるみとなって、悪臭を放つ泥土の上で、群衆は雪の夜を過ごし、乳児や幼子は飢えと寒さで泣き叫んだ。すべてのものが痩せこけて、容姿が変わっていた」(ルイス=フロイス)
■西洋の戦と同じく、日本の戦国時代も下級武士にとって戦場は経済活動の場であった。
■戦国時代、居住地が戦場になった場合、地下人(農民などの非戦闘員)が避難して立て籠もる「百姓持ちの城」が各地にあった。
■フロイスの記録から籠城の様子がうかがえる。
①村人たちが家を出るとき、大事なものは地中に埋めたということ
②城に避難しても、食べ物が用意されていたわけではないということ
③衛生面で深刻な状況だったこと