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『星の巡礼』【読書メモ】夢を殺すことは良き戦いを放棄すること

おはようございます、一龍(@ichiryuu)です。

パウロ・コエーリョの『アルケミスト―夢を旅した少年』 を読んですこくよかったので、同著者のデビュー作である『星の巡礼』 を読んでみました。

ちょっと難解でスピリチュアルなところもあるのですが、この本も多くの示唆を含んだとても良い本だったので、心に響いた個所を読書メモとしてシェアしたいと思います。

 

パウロ・コエーリョ(著)『星の巡礼』の読書メモ

★良き戦いとは

 

 「良き戦いとは、夢のために戦われる戦いのことだ。われわれが若く、夢が初めて内側からはじけ出すときには、我々はこの上なく勇気に満ちている。しかし、まだどう戦えば良いのか、その方法を学んでいない。努力に努力を重ねて、われわれは戦いの方法を学ぶが、その頃には、すでに戦いにおもむく勇気を失ってしまう。そこでわれわれは自らに背き、自分の心の中で戦い始める。つまり、われわれは自分自身の最悪の敵になるのだ。そして、自分の夢は子供じみていて、難しすぎて実現できない、人生を十分に知らないせいだと言い聞かせる。良き戦いを戦うのを忘れ恐れて、自分の夢を殺してしまうのだ 」

★夢を殺した最初の症状 もっとも忙しい人は人生には十分な時間があると知っている

 

 「自分の夢を殺すと、まず最初に時間が足りないという症状が現れる」

 「最も忙しい人たちは、人生には常に、あらゆることをするに十分な時間があることを知っている。何もしない人たちはいつも疲れていて、やらなければならないほんのわずかな仕事にも、注意を向けようともしない。彼らは絶え間なく、一日が短すぎると文句を言っている。本当は彼らは良き戦いを戦うのを怖がっているのだ。

★夢の死による2番目の症状 大切なのは良き戦いを戦っているかということ

 
 「夢の死による2番目の症状は、我々の確信の中に現れる。人生を偉大な冒険として見たくないがために、人生にほとんど何も望まない方が、賢くて公正で正しいと思い始める。そして、日々の暮らしの壁の向こう側をのぞき見し、槍が折れる音を聞き、ほこりと汗のにおいをかぎ、戦士たちの目の中に、大いなる敗北の炎を見る。しかし、われわれは、戦いに行ったものの心に宿る喜び、無限の喜びを見ようとはしない。戦う者にとって、勝利も敗北も大切ではない。大切なのは、彼らが良き戦いを戦っている、ということだけなのだ 」

★夢の喪失の第三の症状 死んだ夢は我々の中で腐り始める

 「そして、夢の喪失の第三の、そして最後の症状は安逸である。人生は日曜日の午後になる。われわれは何一つ偉大なことを望まず、われわれが与えたいと思う以上のもの何も要求しなくなる。このようになるとわれわれは自分が成熟したのだと思い込む。そして若い頃の思いを忘れ去り、個人的で職業的な業績を追い求める。同じ年頃の人たちが、人生からまだあれを欲しいこれを欲しいと言っているのを聞くとびっくりする。しかし、実は、心の奥底で、自分は自分の夢のために戦うことをあきらめたのだ、つまり、良き戦いを戦うのを拒否したのだ、とわれわれは知っている」
 
 
 「夢をあきらめて安逸を見出すとわれわれは、ほんのしばらくは安らかな時期を過ごす。しかし、死んだ夢は我々の中で腐り始め、われわれの全存在を侵し始める。われわれはまわりの人々に冷たくなり、さらにはその冷たさを自分自身に向け始める。こうした時、病気やノイローゼになるのだ。戦いの中で避けようとしたもの、つまり、失望と敗北が、我々の臆病さのゆえに、われわれに襲いかかってくる。そしてある日、死んで腐敗した夢は、われわれを呼吸困難におちいらせ、実際、われわれは死を求め始める。それはわれわれを、自らの確信、仕事、そしてあのおぞましい日曜日の午後の平和から自由にするものなのだ 」

★人生に本当の意味を与えるのは死なのだ

 
 「人間は、自分が死ぬということに気づいている唯一の存在だ。そのために、そして、そのためだけに、僕は人類に対して深い尊敬の念を持っている。そして、人類の未来は現在よりずっと良くなると信じている。自分の人生には限りがあり、予想もしない時に全てが終わるということを知っていても、なお、人々は、自分の人生で、永遠の生命を持つものにこそふさわしい戦いをしている。人々が共栄とみなしているもの、つまり、素晴らしい仕事を残したり、子どもを持ったり、自分の名前が忘れられないように一生懸命になったりするのは、人間の尊厳の最高の表現であると僕は見ている。
 それでもなお、か弱い生き物である人間は、常に自分たちが確実に死ぬということを自分に隠そうとしている。人生で最も素晴らしいことをしようと彼らに思わせるものは、死そのものであることを、人は誰も見ようとしない。彼らは暗闇に足を踏み入れるのを恐れ、未知を恐れている。そしてその恐怖を克服する唯一の方法は、自分の人生が限られているという事実を無視することなのだ。死を意識してこそ、もっと勇気を持つことができ、日々、さらに多くのものを得ることができるということを、彼らはわかっていないのだ。なぜなら、死を意識した時、何も失うものはなくなるからだ。死は避けられないのだから 」

★もっとも大切なことは、人生を思いっきり楽しむこと

 私は、拒絶されるのが怖くて、2、3人の女性と親しくなる努力をあきらめたことを思い出した。また、何度もあとでいつでもできるからと思って、自分のやりたいことをやりそこなったことも思い出した。生きたまま葬られることだけでなく、それまで生きるのを恐れていた自分が、自分自身に対して申し訳なく思った。もっとも大切な事は、人生を思いっきり楽しむことであったのに、なぜ人にノーと言うことや、やりかけの仕事を放り出すことを、あんなに恐れたのだろうか?     

★知恵は人生に応用できて価値を持つ

 「君がこれまでに学んできたことは、それを現実の生活に応用できた時、初めて意味を持つ。サンチャゴへの道を普通の人々の道だと僕が君に説明したことを忘れてはいけない。もう千回は言ったはずだ。サンチャゴへの道においても、人生そのものにおいても、何か障害を克服する時に、われわれを助けてくれるものである場合のみ、知恵は価値を持っている。
 もし、くぎがなかったら、かなづちはまったく意味を持たない。そしてくぎがあったとしても、『2回たたけば、あのくぎを打ちこむことができる』と思うだけでは、やはり、かなづちは役に立たない。かなづちは行動しなければならない。大工の手に自らを握らせ、それに適った使い方をさせる必要があるのだ」     

★学ぶということは可能とすること

 「この滝は君に、マスターになるにはどうすればよいかを教えてくれる。僕はこれから登ってゆくが、君と僕の間には、水の幕がある。僕が手と足をどこかにかけたか君から見られずに、僕は登っていくのだ。 
 同じように、君のような弟子は、自分のガイドのステップを絶対に真似することができない。君には君の生き方があり、問題の処理の仕方があり、君の勝ち方がある。教えるということは、ただそれが可能だということを示すことなのだ。学ぶということは、それを君自身にとって可能とすることだ 」

感想

本書はパウロ・コエーリョのデビュー作。
物語はある組織のマスターとなるために主人公パウロとガイドがサンチャゴ・デ・コンポステーラへ巡礼の道を旅しながら様々な学びを得ていく姿を描きます。

途中、スピリチュアルな描写も多々あり、仮想と現実が入り乱れますが、この物語を通して著者が伝えてくる人生の”本質”はじわじわと、そして時にストレートに伝わってきます。

読む人によって響く部分は違うことでしょうが、僕の場合は特に「夢を殺すことによって起こる症状」は衝撃でした。

死んだ夢は自分のなかで腐り始める・・・

安逸という聞こえのいい安らぎは、その副作用として夢を死なせる。
これは心しておきたいところです。

また、本書ではキリスト教とキリストについて、誤解を恐れない著者の見解が登場人物の言葉として語られます。

一歩間違えると”冒涜”ととられかねないセリフですが、ある意味真実を付いていると考えさせられる内容です。

もしかすると宗教学的にも読み応えがある一冊かもしれません。

少し長く、テンポが遅く感じる部分もある小説ですが、主人公と一緒に精神の旅に出掛けて、自分の良き戦いについてかえり見るきっかけとするのにいい本だと思います。

目次

プロローグ
第1章 到着
第2章 サン・ジャン・ピエ・ド・ポー  種子の実習
第3章 創造する者、創造されし者  スピードの実習
第4章 自分に対する愛と寛容  冷酷さを知る実習
第5章 メッセンジャー  メッセンジャーの儀式
第6章 愛  直感力を養う(木の実習)
第7章 結婚
第8章 法悦  青い天空の実習
第9章 死  生きたまま葬られる実習
第10章 祈り
第11章 征服  RAMの呼吸法
第12章 狂気  影の実習
第13章 命令と服従  音を聞く実習
第14章 トラディションの儀式  ダンスの実習
第15章 エル・セブレロ
エピローグ サンチャゴ・デ・コンポステーラ

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