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つまんない世の中に風穴をあけようとした男たちの物語【書評】谷津矢車(著)『蔦屋』Gakken

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おはようございます、一龍です。 

今日は、当ブログでは珍しく、文芸書をご紹介。
基本的に文芸書の書評は書かない事にしているのですが、本書はブロガーとしてかなり胸に迫ってくるものがあり、ブログ記事にせずにはいられませんでした。

それに、「実はこの本が、例のあの本だったんですよ!」と言いたくて我慢できなかったもので・・・

 

はじめに

江戸時代、日本橋に店を構え、かつては劇作や錦絵を扱う地本問屋として一時代を築いた豊仙堂丸屋小兵衛。

本書は彼の目を通して、歌麿や写楽を世に送り出した蔦屋重三郎とその仲間たちの活躍が生き生きと描かれている時代小説です。

そして彼らの、新しいものを世に送り出そうとする発信者としての心意気に、私は心打たれてしまいました。

ブロガーという発信者のプロを目指すものとして、完全に魅了されてしまったのです。

ということで、本書で心打たれた一節のピックアップをまずはお読みください。

ちなみに、もうご開帳しているのでばらしても大丈夫だと思い書きますが、本書が先日この記事にした黒ビニ本天狼院秘本です。

発信者として心打たれるポイント

★「てめえが気に食わない」という自儘な思い

 金儲けのためなんかじゃない。ましてや功名のためでもない。
 遥かに年上の彫り物職人に『なんでこんな手のかかることをさせるんだよ、これだから問屋様は困るんだ』と文句を言われ、刷り師たちに『こんな馬鹿な思い付きに付き合わされる暇はねえんだけどな』と皮肉を言われながらも、結局新しいものを作ったのは———。
 自分が、どうしても納得いかなかったからだ。これまでの、白黒だけの本に。
 てめえで納得がいかないからこそ頑張れた。てめえにとって譲れないところだから、誰の意見にも耳を貸さなかった。ただ、てめえのためだけに作った。そしてしれが世間に受け入れられて、地本における一つの定石となった。だが、世間に受け入れられるかどうかなんて興味なかった。ただ、若き日の小兵衛にあったのは、「てめえが気に食わない」という自儘な思いだった。

★『吉原細見』

 

 重三郎の店・耕書堂は吉原の中にある。売っているのは『吉原細見』だ。『吉原細見』とは、吉原の中にある店やそこで年季を過ごしている遊女たちの格付けが載っている案内のことである。かつてはいくつもの本屋が似た趣向のものを出していたが、蔦屋版のそれの人気は群を抜いていて、気づけば蔦屋の独占稼業になっていた。それもそのはず、蔦屋版のそれは吉原の全てを網羅していた上、さらには番付まで載っている。これを吉原で買えばそれだけで通ぶれる、そんな本だった。
 『吉原細見』には案内本であるというだけでなく、もう一つの意味合いがあった。吉原に行って来た記念に、とお土産代わりに買われる商品の一つだったのだ。細見を見せびらかして、『俺ァこんな高い店に行ったんだ』、『こんな格式の高い女郎となじみなんだ』と自慢するのだ。そんなわけで、『吉原細見』は、江戸の出版物の中でも長く売れてきた千両箱なのである。

★自分を疑わない

 

(小兵衛が歌麿を評して)
「ええ、あいつはまったく自分のことを疑ってねえ。たぶん、漠然と俺はいつか芽が出るんだ、って信じているんじゃないかね。ああいう奴は将来化ける」
「腕もいい。それはお墨付きだ。で、あとは、あいつがあと一つ、何かあともう一つに気づくことができるかどうか。あるいは、他人がやってこなかった何かを自分の武器にするか、そのどちらかだな」

★江戸中を吉原のように染めてやる

 

「これを沢山刷りました。吉原で撒いてみたいなあと思ってます」
「へえ、これを?こんなきれいなものを無料で撒いちゃうの?もったいない」
「いえね、今回、この狂歌集で随分儲けてるんで、この引札でさらに客を呼び込もうかって。面白いでしょう」
「ええ、面白いと思う」不意に、お雅さんは寂しげな顔を浮かべた。「——あなたはいいねえ。鳥みたいに気儘で。わたしは、同じ鳥でも駕籠の鳥なのに」  引札を眺めながら、お雅さんはため息をついた。
「見ていてくださいよ、姐さん」重三郎は言った。「いつかあたしァ、江戸中を吉原のように染めてやりますよ。そうすりゃ、姐さんたちだって駕籠の鳥じゃあない。少なくとも、江戸の市中は飛び回れる鳥になりますよ」

★五歩先

 

「新しいもの、とは言う。でもよお重三郎、あんまり新しすぎるものは逆に売れねえんじゃねえかい。奇抜なもんはやっぱ売れねえだろ」
「ああ、その通りだ」重三郎は頷く。
「新しいものっていうのは、往々にして頭の固い人から見ればヘンテコで洗練されてないものだ。もちろん、そういうものを先物買いしてくれるお客さんってェのはいるにはいるけども、それじゃあ大売れとはいかない。十歩先にいったものじゃあ新しすぎる。かといって、一歩二歩先くらいじゃあ誰も驚かない。いうなれば、五歩先くらい先を走るものを作りたいもんだね」

★『偏狭な人生にしか生きられない人たち』の側に立つ

 

「世の中には色んな人がいます。時代の流れに起用に乗れる人もいます。でもその反面、自分の生き方を自分では変えられない人もいます。そもそも生まれついた瞬間から、狭隘な生き方しかできない人たちもいます。偏狭な枠組みの中でしか生きられない人っていうのはたくさんいる。それを、あたしァ吉原で知りました。だから、あたしァ決めたんです。そういう人たちの側に立つ、って」

★人はそう変わらない。

 人はそう変わらない。
 そしてそれと同じくらい、金を好み絵空事の物語や絵を好む。このどうしようにもない世の中から逃げ出したい人々が物語や絵を見やって溜飲を下げるのは摂理のようなものだ。それを否定するなんて誰にもできはしない。

感想

◆とんでもない新人作家の登場

一通り読み終えて、まず浮かんだのは、「これから楽しみな作家が登場した!」という印象でした。

著者の谷津矢車さんは、こちらの本

がデビュー作で、『蔦屋』はまだ2作目という、20代の新人作家さん。

しかし登場人物の生き生きとした描写が素晴らしく、とても新人作家とは思えない力量です。
それに扱う時代やテーマも、戦国時代や幕末と行った”メジャーな時代”ではなく、しかも町民文化にスポットを当てたところも、「御主やるな」って感じです。

いやあ、これは今後楽しみな作家が登場したものです。

◆人間ってそんなに高潔なものかい?

さて内容について。

蔦屋重三郎が活躍する本書の物語の舞台は、

「白河の 水の清きに すみかねて 元の田沼の 池や恋しき」

と歌われた、田沼意次のころの放漫な政治から松平定信の「ぶんぶ、ぶんぶ」とうるさく息苦しい政治の時代。

そんな時代に風穴をあけるべく作中の登場人物たちは挑戦していくわけですが、根底にあるのは

 きれいな服を着たい、あれやこれやが欲しい。それは人間の業だ。ぼろをまとって生きるより、きれいな召し物をきて生きていきたいというのは人情だろう。だが、あのご老中はその人間の業を否定して、高楊枝を柱や梁にして楼閣を作ろうとしている。
 だが、人間っていうのはそんなに高潔なものかい?

という疑問。

高邁な精神や高潔さは素晴らしいものだという事を否定はしません。

しかし、ルネサンスが中世のキリスト教的価値観からヒューマニズムへの脱却だったように、イギリスにおいてクロムウェルの清教徒的清廉潔白な独裁政治の後に王政復古がなされたように、欲とか業とかどうしようもない愚かさも一切合切含めて人間であり、そうした人間によって世の中はできているという事実に発信者は立脚し、目を向け続けるべきではないかと。

どんなに高潔な思想であろうと、イデオロギーで世の中が成り立つわけではないのです。
なぜなら、世の中は清濁併せ持つ無数の人間の集合によって成り立っています。

ところが多様性を相互に認める事を謳われるようになった現代においても、頭が固く現実が見えていない政治家や思想家や何かの活動団体ってありますよね。

「水」は清いのがあたりまえ、清い水は正義で濁った水は悪、濁りは排除して奇麗にするべきだ

って息巻いて。

更に言えば、この「清い水」を「世間の常識」と言い換えてもいいかもしれません。

ブログを書く発信者として自分の考え、信念を持ち、主張する事は大切。

しかし自分が常に正しいわけではないこと、違った考え違った意見があって当然であること、泥臭さの中に現実の人間社会があること、そしてそこに立脚すること。

これらは発信者として忘れないでいたいですね。
そしてできれば常識にたてつく破壊者のスタンスをとっていきたいと個人的には思っています。

◆人を繋ぎ時代に風穴をあける

それにしても、「表現の自由」がなかった時代、蔦屋重三郎たちが新しいもの、面白いものを世に送り出すのはかなりリスキーでした。

実際、松平定信の政治を皮肉った本の出版で、蔦屋重三郎たちは仲間の死を経験します。

しかし、どんなにリスクを背負っても、失敗を経験しても、重三郎は新しいもの、面白いものへの挑戦をやめません。

そんな重三郎の印象的なシーンがあります。

それは重三郎が小兵衛に「本屋にとっての財産」を語るシーン。

「小兵衛さんだけじゃあない。たとえば、喜三二さん。たとえば、飯盛さん。たとえば、死んだ春町さん。たとえば、京伝さん。あたしにとって一番の財産は、いろんな人たちと結んできた縁です。あたしにァ何の力もない。でも、その縁をこねくり回して引っ張ってやって、江戸に風穴をあけてきた。そして、あたしは、これからも江戸に風穴をあけ続けたい。だから、日本橋の店は必要ですし、小平衛さんも必要なんです」

 重三郎は、自分が何を為すかなんてことは考えてもいない。自分の役目は繋ぐこと。そして、繋いだ糸を絡めてくっつけて引っ張ることだけ。もしかするとこの男は、自分が生きた証しなんて必要ないのかもしれない。ただ、判じ物を解くかのように人と人とを繋げて、何か新しいものを作るのが楽しいだけなのかもしれない。

この部分、すごく共感するとともに、勇気づけられもしました。
実は私がブログを通してやりたいこととほとんど同じ、重なっているのです。

志を同じくする人たちと繋がること。
世の中に自分が書いたものを通してよい影響をあたえること。
そして日本を少しでも面白く、元気な国にすること。

これらを実現するためにブログを書いているわけですが、諸々の事情にすぐ怠けてしまう自分は、「今よりもずっと規制の大きかった時代にこれをやってのけた人がいる!」という事実に叱咤激励されたのです。

現代を生きる私には「表現の自由」があります。
簡単に発信できるツールもあります。

なにも恐れる必要もなく、なんの苦労もなく情報発信できるこの時代に生き、何をちんたらやっているのか。

「江戸中を吉原に染める」と重三郎は言いましたが、今我々が手にしているツールは世界中を染めることだって可能です。

考えてみればこんなに面白い時代に生きているんですね。

あなたが少しでも表現したい、発信したいと思っているなら、

発信しましょう!繋がりましょう!
そして世界を変えていきましょう!

そんな思いに駆り立ててくれる一冊なのです。

目次

目次は特にありませんでした

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*1:幻冬舎時代小説文庫

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