こんにちは、プロブロガー修行中の一龍(@ichiryuu)です。
今回は、僕が組織や誰かに雇われることをやめて、何にも属さずに生きていこうと決意した言葉を紹介します。
それはこちら
人生のうち、ごくごく短い時間でもいい。
自由に生きていきたいです。
もう、衝撃でしたね。
よく使われる表現ですが、それこそ背中に電気が走りましたよ。
この言葉、有名ブロガーのちきりんさんのこちらの著書で出会った言葉でした。
当ブログでの紹介記事はこち
なんでそんなに衝撃だったかといと、この本を読んだのは2014年の1月でしたが、この頃の僕は2013年の4月に不本意な転勤をして、組織に属して働くことがほとほといやになっていた時期だったんですね。
自分が仕事で目指しているものと、組織が僕に求めているものがあまりにも乖離しすぎている。
このまま組織に残っても、自分のやりたいことができないのははっきりしている。
もう組織を見限っていて、ブログを核にして働いていく、いわゆるプロブロガーを目指すことを決心していましたが、すぐには辞めることはできないし、ほんとうにそんな生き方ができるのかどうかもわからない。
そんな悶々としたときにこの本を読んだのでした。
先述の言葉の前には以下のような文章がありまた。
多くの場合、本当に自由に生きている人は、「火宅の人」であったり「破綻した人格」といわれていたり、のたれ死にに近い形で人生を終えていたりします。もちろん、そうなりたいといっているわけではありません。
しかし、そうやって生きた人たちがおそらく経験したであろう「精神の自由」というものがあまりにもまばゆく、尊く、貴重なものに思え、そういうものを一度も体験しないまま人生が終わってしまうと想像すると一種の焦燥感に襲われるのです。
自由に生きないことと引き替えに、私は「それなりの人生」を手に入れました。それでも、一生に一度も自由に生きられないというのなら、私が私に生まれてきた意味はどこにあるのでしょう?
2010年、私は長年勤めた会社をやめました。そしてこれからは、もう一度、自由に生きるということに挑戦してみたいと思っています。
一生に一度も自由に生きられないというのなら、私が私に生まれてきた意味はどこにあるのでしょう?
この問に深く共感。
自分にとって一番大切なもの、欲しいものは「魂の自由」なんだとはっきり認識することができたし、激しく魂を揺さぶられ、「火宅の人」になってもいいじゃないかと、吹っ切れたのです。
もちろん、その後なんども「やっぱり自分には無理だ」と思うことも多々ありましたが、折に触れてこのちきりんさんの言葉に背中を押されました。
今、来年春の退職に向けて、独立準備を始めているところで、正直言って不安なのですが、今もなお、この言葉に突き動かされています。
あわせて読みたい