当ブログは本の紹介をメインコンテンツの一つとしているので、多くの出版社様、著者様から献本をいただきます。
そのつど(100%ではないのですが)、「御恵贈いただきました。ありがとうございました。」のツイートを書影とともにつぶやきます。
しかしこのことが気に入らない方も世の中にはおいでるようです。
最近プチ炎上したこちらのツイート。
「御恵贈(投)頂き(賜り)ました」ツイートの胸糞わるさ。いったい、誰に向けて発信しているのか。これだけゴテゴテ敬語をまぶしているのだから、本を送ってくれた著訳者・編集者宛てなのだろうけれど、だったら御礼と感想をDMすればいいだろう。わたしには、「皆の衆、俺(私)はコネがあるんだぞ、
— 郡淳一郎 (@khorijunichiro) 2019年4月23日
大事にされているんだぞ、偉いんだぞ」というメッセージしか受け取れない。恥ずかしい。商業出版された本は商品なのだから、それをタダでもらったと吹聴するのは、はしたないことだと、なぜわからないのか。黙って本を読むことが中抜きされていると感じる。書物が社交の道具に貶められていると感じる。
— 郡淳一郎 (@khorijunichiro) 2019年4月23日
献呈箋に「乞御高評」と印刷してあるのは、私たちの仕事を、あなたが批評することで、書物の公共圏に戻してください、という祈り。「人文書空間」の崩壊とともに、著者の矜持も、読者の敬虔も、その往還のダイナミズムも消去された。それぞれの村落内の住民同士が、付け届けと御挨拶を繰り返すばかり。
— 郡淳一郎 (@khorijunichiro) 2019年4月23日
僕はネットの社会では公序良俗に違反しないかぎり誰がどのような意見を持とうが、言おうが構わないと思っています。
なので、批判されようとも僕はツイートをやめないし、批判することを批判しません。
(ちなみに補足しておきますが、このツイートは僕個人を批判したものではありませんし、僕はこの方を全く存じ上げません)
ただ、いい機会なので、「御恵贈いただきました」ツイートに関して自分の考えを表明しておきたいと思います。
「御恵贈いただきました」ツイートを僕がこれからも続ける理由
結論から言うと、僕は「御恵贈いただきました」ツイートをやめません。
理由は2つ。
1つ目の理由ですが、まず、頂いた本をすべてブログで紹介できないんですね。
それは内容が問題だったり、あるいは当ブログのカラーに合わなかったりが主な理由です。
例えば、ダイエットや健康本で、医学的にエビデンスがしっかりしていないものは紹介できません。
また、仮想通貨投資とかFXとかいったテーマのものは当ブログのカラーに合わないため、これも紹介できかねます。
ただ、頂いたものですから、せめてTwitter、Instagram、Facebookなどにツイートすることで、少しでも人の目に触れる機会を作ってあげたいと思うわけです。
それは、著者や編集者さんへのせめてもの感謝と敬意の僕なりの表現ですが、その向こう側には出版界全体への応援という意味もあります。
だって、もうここ20年で目に見えて書店が減っているし、これは本当にヤバイなとひしひしと感じるんですよ。
僕は読書で人生が変わった経験を何度もしてきたので、読書という文化がどんどん衰退していくことを黙ってみていられないのです。
せめてできることを、という思いからツイートしています。
2つ目の理由はブロガーとしての読者からの信頼を維持するためです。
本に限らず、手帳でもガジェットでも、提供していただいたものは必ずその旨紹介記事に書きます。
でなければ、ステマですからね。
そのことに関してもし「やめてくれ、提供したことは書かないでくれ」という編集者さん、メーカーさんからレビューを頼まれたら、僕は記事にしません。
このことはハッキリとここで申し上げておきます。
ブロガーにとって、読者からの信頼が何よりも大切ですから。
そもそも、つくり手がどう思おうと、読み手との間には一線が引かれています。
とやかく言われる筋合いはありませんし、ぼくもつくり手にとやかく言うつもりはありません。
今後も変わらず「御恵贈いただきました」ツイートは続けていきます!