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「歴史的教養や雑学を学ぶ」ことを目的とした映画鑑賞コーナー。
3回目の今回は「マリー・アントワネット」をご紹介します。
絢爛豪華なヴェルサイユでの一人の孤独な少女の物語です。
タップできる目次
はじめに:「マリー・アントワネット」、絶対王政の王(王妃)を演じ続けるのは過酷なことだったんだろうな
本作のストーリーは、オーストリア皇女マリー・アントワネットがフランス王家へ嫁ぐところから、フランス革命が勃発し、民衆にパリへ連れ去られるまでを描きます。
露骨な性描写や残酷なシーンはほとんどなく、全編にわたって、宮殿、庭園、ドレス、お菓子などなど華やかな映像が続き、その中でマリー・アントワネットの心の動きが淡々と表現されて行きます。
歴史教養的観どころ
とにかくベルサイユ宮殿がすごい!
この映画、ベルサイユ宮殿でも撮影されています。
まず、これができるのがすごいですよね。
日本だと、完全な状態で残っているお城が皆無なため、時代劇で本物のお城を使って撮影するなんてことはできませんから。
また、セットのレベルが高く、どこまでが本物のベルサイユ宮殿なのか、どこからがセットなのか見分けがつかない。
室内のシーンにしても、庭のシーンにしても(庭はほとんどが本物ではないかな)ずっとその時代、その場所にいる感覚になります。
フランス的絶対王政とその生活
絶対王政というのは文字通り「王の権力が絶対」な時代なわけですが、一口に絶対王政といっても国によってその様相はかなり違っていました。
この映画ではフランス絶対王政の特色がいくつか見られるので、そこに注目すると面白いのではないかと思います。
★貴族の序列
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絶対王政は王を頂点にした階級社会です。
したがって、家臣たちは1分1秒でも王に近づきたい。
王に気に入られることが栄達の近道ですから。
しかし、みんなが好き勝手に王に近づくと大変なことになるので、そこは厳格なルールを作って”交通整理”をするわけです。
本映画では、マリー・アントワネットの朝の起床の儀式が登場します。
朝目覚めてから身支度をするそのひとつひとつに介添え役がいて、血縁関係の濃さ、貴族の格式などから王妃の前に出る順番がきっちりと決まっています。
全てがマニュアル通り。
それに従って粛々とこなしていくのも王や王妃の役割なのです。
なんか絶大な権力を持っているのに不自由ですね。
★すべてオープン、王は公共物
「ははぁーっ」といって土下座状態になってしまう日本の時代劇を見慣れた私たちにとっては信じがたいのですが、王は全てがオープン、プライバシーは存在しません。
それは、王様自体が公共のもの、国民のための存在という考えがあるからでした。
特にフランスの王と家臣や国民の距離は近かったようで、ベルサイユ宮殿の庭は誰でも(農民でも)入場自由でしたし、王のお昼の食事も見物できたそうです。
これ、王様にとってはプライバシーが全くないわけですから、かなり疲れると思うのですが・・・。
一番象徴的なのは出産シーン。
なんと公開出産なんですよ!
赤ん坊を取り違えてはいけないから衆目の前でという意味もありますが、それにしてもすごいですよね。
変な言い方ですが、絶対王政の王には人権なんて存在しないのです。
★プライベートな空間、プチ・トリアノンでの生活
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そんな24時間常に王(王妃)を演じなければならないルイ16世とマリー・アントワネットですが、唯一プライベートな空間があるのがトリアノン宮殿とその隣にあるプチ・トリアノン宮殿での生活でした。
そこでの静かな生活と、ベルサイユ宮殿での狂乱ぶりとの落差も見どころかと思います。
ルイ16世もマリー・アントワネットも普通の人間なんですよね。
最後に個人的な映画の感想を
BGMでロックがかかります。
まずはこれに違和感を感じるのですが、観ているうちに「これもありかな」と思えてきました。
まぁ、好みの問題でしょう。
歴史的史実を描いたというよりは、いち少女の物語といった感じの映画ですので雰囲気を楽しむといった気持ちで観ると楽しいのではないかな。
基本データ
監督:フランシス・フォード・コッポラ
主演:キルスティン・ダンスト
2006年公開
122分
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