
こんにちは、なおさん(@ichiryuu)です。
2019年、映画館で観る9本目は「スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け」。
紆余曲折はありましたが、とうとう42年に渡る物語が完結しました。
そしてそれは同時に新たなスターとなる作品にもなっています。
この記事では「スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け」について、子供の頃からこのシリーズの大ファンだった僕が、思うところを書きたいと思います。
「スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け」公式サイトはこちら
参考 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明けSTAR WARSタップできる目次
「スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け」【レビュー】
ありがとう、J・J・エイブラムス監督
42年に渡る、長い長い航海が終わりました。
後にエピソード4となるスター・ウォーズ第一作目を僕が初めて見たのは映画館ではなくテレビの〇〇ロードショーというやつだったと思う。
それまで、ゴジラやウルトラマンといった戦闘機を吊るしたワイヤーがまる見え、模型とわかる家を怪獣が踏み潰すような特撮しか見たことがなかった子供の心を、スター・ウォーズは一瞬でわしづかみにし、虜にしたのでした。
あれから42年。
当初、船会社も船長もルーカスが務める形でスタートしたこの航海は、船長の離婚問題で航海がストップしたり、ルーカスフィルムからディズニーに船主が変わったりと、様々な問題がありました。
もしかしたら、ルーカスの離婚がなければとっくの昔にルーカスの手によって9つのエピソードは完成していたのかもしれません。
実際、ルーカスの頭の中には全9話のストーリーができていたとマーク・ハミルも言っていましたし。

ルーカスの手で全9話を完成してほしかったよ
けれど、スター・ウォーズはルーカスの手を離れたものの、J・Jが監督を努めてくれたのがせめてもの救いだったと思います。
思えば、われわれオールドファンは、ディズニーに権利が移ったときものすごく心配したものです。
果たしてあの”夢と魔法”の商魂たくましい会社が、ルーカスの作り出してきたスター・ウォーズの世界を引き継いでくれるのかと。
その心配にJ・J・エイブラムス監督は見事に応えてくれ、エピソード7では旧作のキャラクターやマシンをうまく登場させつつ、新キャラクターのレイ、フィン、カイロ・レンへの物語の引き継ぎを成功させたとおもいます。
その手腕たるや見事としか言いようがない。
「ディズニーになっても、スター・ウォーズの世界観は維持されている」と安堵したのでした。
ところがあの商魂たくましいディズニーがいつまでもルーカス色の残る、ある意味保守的な作品を続けるわけがありません。
監督がライアン・ジョンソンへと替わり、シリーズの設定や諸々の約束事をことごとくぶち壊してくれたのがエピソード8でした。
あえて好意的に解釈すれば、「古い世界観を捨て、新しい物語に切り替えよう」というシリーズ中もっとも革新的な作品とも取れます。
ライアン監督はジェダイの能力も拡大してみせたわけですから。
野心作ということもできるでしょう。
ですが、「ルーカス色を払拭してディズニー作品にしたい」という意図があまりにも見え見えで、しかもストーリー上なんの重要性もないけどキャラクターグッズで儲けられそうな動物(例えばポーグとか)をやたら出してくるし。
また、人種差別問題に敏感だからなのかはわかりませんが、東洋系のローズというキャラクターも登場させますが、この人もストーリー上必要性が感じられないどころか、ただでさえ複雑なストーリーが余計ややこしくなってしまう。
もうなにもかもストーリーの段階で無理がある上に、儲け主義がプンプン臭ってくる作品になってしまいました。
当然オールドファンからも初見さんからも叩かれる状況に至りました。

もうスター・ウォーズファンをやめうと思ったよ
そんな逆風の中、エピソード9のメガホンを撮るのはものすごいプレッシャーですよね。
そのプレッシャーに負けたのかどうかは知りませんが、当初エピソード9の監督だったコリン・トレボロウは製作途中で降板。
結局、火中の栗を拾う役はJ・J・エイブラムス監督が引き受けることになります。
そして結果的にはこれが大成功。
ライアン監督が拡張した要素もうまく使いつつ、エピソード8で引っ掻き回されたスター・ウォーズの世界観を見事に収拾することに成功した作品に仕上がっていました。
一時はどうなるかと思ったスター・ウォーズシリーズもJ・Jのおかげで無事に完結。
42年に渡る航海が無事に終わったことを喜びたいと思います。
ちなみに、D-O役でJ・Jは声の出演をしているよ。

J・J・エイブラムス監督ありがとう
エピソード9で一旦完結するしかなかった!?
さて、J・J・エイブラムス監督に感謝の言葉を述べつつも、エピソード8への激しい批判の中、彼がとった解決策は保守的なものだったと言えなくもないでしょう。
それは、エピソード7でとった手法と同じ。
つまり、ルーカス作品への回帰でした。
もうそれしか収拾がつかないとわかってたんでしょうね。
それでエピソード9でJ・Jは旧作品のキャラクターやマシンをこれでもかと登場させ、オールドファンの心をくすぐる作品に仕上げています。
レイア姫とルークはもちろん、もう出演しないと思っていたハン・ソロ、そしてランド・カルシアン(ビリー・ディー・ウィリアムス)も帰ってきました。ランドがファルコンのコクピットに座っているなんて、それだけでもうオールドファンは涙モノなのに、極めつけはルークの愛機、Xウィングのレッド5にレイがルークのヘルメットをかぶって搭乗したこと。
ここまでされたら「ありがとう」と言ってしまいますよね。
(一瞬だったから確証はないけど、ウェッジ・アンティリーズも登場したような気がする)
おまけにストーリーもスター・ウォーズシリーズ全作に通底する「親と子の対立(今回は祖父と孫だけど)」というテーマも忍ばせました。
また、相変わらず忍び込み放題な敵のセキュリティの甘さや、所々に織り込められているコミカルなシーンも復活。
そして、エピソード8で拡張されたジェダイの能力も存分に使って、ストーリーに幅をもたせることにも成功。
ジェダイに傷を癒やす能力をもたせたり、ちょっとやりすぎの感はありますが、なんとか帳尻合わせができたかな。
その一方で、不要なものは切り捨てる。
例えばローズの出番はほとんどなくなったし、ポーグに至っては映るのは一瞬。
レイ、カイロ・レン、そしてフィンたちの3つの視点で物語が進みますが、それほど複雑ではなくスッキリとしたストーリーにすることに成功しています。
おそらく、親会社であるディズニーはエピソード8で見せたように、スター・ウォーズという作品を、早くディズニー色に染めたいのが本音でしょう。
しかし、エピソード8での大失敗と批判に、「エピソード9まではルーカス色を引き継ぎ、一旦完結。その後の新シリーズでディズニー作品にしていく」という作戦に変更したのではと思います。

現実的にそれしかファンは納得しなかっただろうね
黄色いライトセーバーに込められたメッセージ
とはいえ、そこは商魂たくましいディズニー。
今後もスター・ウォーズシリーズは制作していくとすでに発表していますし、新シリーズを制作することでオリジナルのキャラクターを増やしてグッズからの収益もあげていきたいことでしょう。
そのための布石も本作品最後にしっかり打ってありました。
この作品には「血筋や生い立ちに縛られず、自分は自分として生きていこう」というメッセージが込められています。
それを表したのが、最後に登場する黄色いライトセーバー。
スター・ウォーズシリーズでは基本的に、ジェダイは青色のライトセーバー、シスは赤色のライトセーバーと設定されています。
では黄色は何なのか。
おそらく色の3原色から来ているんじゃないかと思うんですよ。
赤青黄色ね(光の3原色は赤青緑)。
もうおわかりですね、「私はジェダイでもシスでもない、私は私」という意志の現れなのです。
なのにですよ、なのに、名前を聞かれて「レイ・スカイウォーカー」と答えるのはおかしくないか?
そこは絶対「レイ・パルパティーン」と答えないといけないでしょう。
だって「祖父は皇帝だけど、私は私」というメッセージを発しているのに、なんで「スカイウォーカー」を名乗るんでしょうね。
ともかく、ルークとレイアのライトセーバーを”埋葬”し、スカイウォーカーを名乗り、新しいライトセーバーを手にしたレイの旅立ちを印象的に表現しました。
この意味するところは、ルーカス「スター・ウォーズ」との決別とディズニー「スター・ウォーズ」の始まりの宣言であることは間違いないでしょう。
さようならレイア姫(キャリー・フィッシャー)

シリーズが始まって42年。
これだけの時間が経つと、初期の出演者やスタッフも引退されたり、天に召された方もいます。
主要な登場人物で言えば、やはりレイア姫役のキャリー・フィッシャーさんでしょう。
エピソード7後にお亡くなりになられましたが、その後も生前に撮影した映像とCGを駆使して登場しています。
このエピソード9では、撮影していたが使われなかったカットを採用して登場、彼女の遺作となりました。
心からご冥福をお祈りいたします。

ジャバの館でのセクシーな姿が刺激的だったな

で、結局父ちゃんの評価はどうなの?

大満足!




