今年の初映画に行ってきました。
リドリー・スコット監督の「エクソダス 神と王」です。
「エクソダス 神と王」、リドリー・スコット監督が描く神にも楯突く人間モーゼに共感した良作
「エクソダス 神と王」を観てきました。
とにかく細部にまでこだわる監督らしく、衣装からセットから何から何まで映像的には圧巻。
まるで古代エジプトにいる錯覚に陥りそうでした。
さらには戦闘シーンのスピード感もすごい。
本映画では全体の割合からすれば戦闘シーンは少ないものの、戦車での戦闘シーンのスピード感か半端無く、冒頭のヒッタイトとの戦闘シーンはオススメです。
とにかくこういったビジュアルの作りこみという点ではさすがリドリー!と言える良作ではないでしょうか。
現代人に納得感のある旧約聖書解釈
さて、この映画のモチーフは旧約聖書の「出エジプト記」。
モーゼが奴隷として虐げられているヘブライ人たちをカナーンの地に導くお話です。
このテーマでの名作には
があまりにも有名ですね。
特に海が割れるシーン。
当時としてはかなりレベルの高い特殊効果だったと思います。
ところで、この「十戒」ですが、4時間近い超大作で、淡々とモーゼにまつわるエピソードが豊富に語られています。
まるで聖書を忠実に映画化したような感じ。
そのエピソードの量に比べると「エクソダス」はかなり端折ってるなという感じを受けました。
ただ、印象としては悪いものではなく、スリムにダイエットした感じ。
監督の伝えたいメッセージに不必要なものはできるだけカットしていくことで、メッセージを際だたせるといった狙いを感じました。
そのメッセージを伝えるために本作品では、これまでとは違ったモーゼ像が描かれています。
神に楯突くモーゼ
それは神に楯突くモーゼ。
「十戒」を観た時、私はすごい違和感を感じたものでした。
教えに反する者や敵対するものに非常に厳しく、容赦しない神というセム的な一神教の宗教観にどうしても馴染めないからです。
たとえば
「十戒」では次々にエジプトの民に振りかかる「十の災い」を、淡々と、さも「ヘブライ人を奴隷にしているお前たちが悪いのだから当然の報いだ」といった感じで描かれていて、モーゼ自身も超然としています。
この「十の災い」の最後が、エジプト人の長子が全員死んでしまうというもので、これに参ったファラオはついにヘブライ人を解放します。
さらに、その解放されたヘブライ人が晴れがましくエジプトを出立していくシーンも描かれています。
この逸話、私は見ていて空恐ろしい物を感じたものでした。
しかし本作「エクソダス」では、モーゼが非情な神に「やり過ぎだ!」と楯突きます。
神に絶対服従が求められる一神教において、この態度は問題でしょう。
もしかしたらこの映画は敬虔なユダヤ教徒には受け入れがたいものかもしれません。
でも私は、この映画でのモーゼの感覚が普通の人間のものだと思うのです。
ナイル川が赤く染まろうが、カエルが大量発生しようが、天変地異のうちはかまわない。
でも、いくらなんでも子どもを殺してしまうのはあまりに非情すぎる。
旧約聖書のノアの方舟のエピソードもそうですが、セム的な神の非情さには多神教の文化で育った私にはどうしても馴染めないし納得いかないものです。
今回、本作のモーゼは、そんな非情な神に恐れ、悩みつつも、納得いかないところは楯突き、言うことを聞かない人として描かれています。
十戒の石版にしても自分が納得出来ないものは書かないと神様に言い切りますし、こういうモーゼにすごく共感したのでした。
信仰として旧約聖書を学んだ人には受け入れがたい内容かもしれませんが、私はリドリーが描くモーゼ像になんかリアリティを感じますね。
そうそう、リアリティといえば、海が割れるシーンは”潮が引いた海”という描かれ方でした。
(ただし、津波のように潮が戻ってきましたが)
それに十戒の石板はモーゼが自分で彫っています。
こういったところも超常性をできるだけ抑えていて私は好感が持てました。
ということで、私的には大満足な映画でしたのでおすすめします。
なお、旧約聖書の「出エジプト記」をだいぶ端折っていますので、全く知らない方は上記の「十戒」とか、
とかをご覧になるか、
とかをお読みになって映画館にいかれることをおすすめします。
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