夏の東京ステイ中に以前から行きたかった松陰神社に行ってきました。
その名の通り、吉田松陰を祀っている神社です。
この記事では松陰神社の成り立ちや見どころなどを紹介します。
動画もアップしましたのでご覧ください。
この動画の撮影機材はDJI OSMO POCKET です。
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松陰神社(東京)【旅ログ】松下村塾のレプリカに明治維新への功績を想い、吉田松陰先生と門下生のお墓参り。
松陰神社といえば、山口県萩市にある松陰神社を思い浮かべますが、東京にも松陰神社があるんですよね。
なんでかというと、後で詳しく書きますが、松陰先生が処刑されたのは江戸だったので、江戸で埋葬され、その後この地に改葬されて、墓地のあるこの場所に神社ができたという流れらしいです。
ですので神社自体が新しく、創建は明治15年(1882年)。
そして現在の社殿は1928年に完成したもので、境内も綺麗に整備されています。
社殿まで車いす用のスロープも完備。
ちなみに山口県萩市にある松陰神社のほうが後からできてきます。
境内を進んでいくと、
そのかたわらに吉田松陰像があります。
解説によると、明治23年に大熊氏廣氏によって制作された石膏の松陰像を元にして鋳造され、平成25年4月に完成したものだそうです。
見どころ① 松下村塾のレプリカ
東京の松陰神社の見どころの一つがこの松下村塾のレプリカ。
吉田松陰が高杉晋作や久坂玄瑞を教えた松下村塾の塾舎は、現在、萩市の松陰神社境内に保存されていますが、そのレプリカがあるんですよ。
しかも模型じゃないですよ、1分の1レプリカ!
以前萩市で松下村塾を見た時、「ちっちゃ!」というのが第一印象でした。
こうしてあらためて見てもやっぱりちっちゃいですよね。
この講義室と、もう一室の二間で約50名の塾生がいたのだとか。
その多くが後に明治維新の原動力となっていくわけですが、吉田松陰が実際に教えたのは約2年半ぐらいしかないんですよね。
たったそれだけの期間に、これだけの人材を排出したわけですから、松陰先生の影響力、そして日本の歴史に与えたインパクトは計り知れません。
短い生涯だったけど、大きな仕事をした方なんですよね。
見どころ② 吉田松陰の墓
吉田松陰先生は安政6年10月27日(1859年11月21日)、伝馬町牢屋敷で処刑されました。
一旦両国の回向院に埋葬されましたが、1863年に高杉晋作ら松陰の門人たちによってこの地に改葬され、さらに明治15年(1882年)にこの墓のそばにこの松陰神社が創建されたそうです。
また、この墓所には安政の大獄で連座して処刑された人や、明治維新後にこの地に埋葬れたかつての松陰の教え子などのお墓があります。
「松陰先生のそばに埋葬してくれ」と遺言するぐらい、教え子たちに慕われていたんですね。
この墓所には、桂太郎が建立した「長州藩 第四大隊招魂碑」もあります 。
ちなみに桂太郎の墓もこの近くにあるらしいのですが、どこにあるのかわかりませんでした。
特に案内はされていないようです。
また、この墓所の一画に入るところにある鳥居は木戸孝允が寄進したものだそうです。
もう一つついでに言うと、松陰先生が最初に埋葬された回向院は鼠小僧次郎吉の墓があるところ。
最近金運アップのパワースポットとして人気の鼠小僧次郎吉の墓はこの動画で紹介していますのでよろしかったらご覧ください。
感想とまとめ:松陰神社(東京)【旅ログ】松下村塾のレプリカに明治維新への功績を想い、吉田松陰先生と門下生のお墓参り。
日本の歴史に大きな影響を与えた吉田松陰先生。
今は学問の神様としても祀られているそうです。
松陰先生の墓参をして少しでもあやかりたいものですが、たまたま僕が訪れたこの日は参議院選挙の日。
松陰先生にこの国の行く末を見守ってくれるようお祈りしてきました。
また、歴史好きで行ってみたいけど山口県萩市は遠いよという方は、東京の松陰神社に行って松下村塾のレプリカを見てみるのはいかがでしょうか。
レプリカとはいえ、こんな小さな塾舎から明治維新を成し遂げた偉人たちが排出されたのかと感慨に浸ることができます。
松陰神社 〒154-0023 東京都世田谷区若林4丁目35−1
東急世田谷線松陰神社前駅 下車徒歩約5〜8分
おまけ
松陰神社で仕事開運のお守りを購入。
これでブログもYou Tubeもバッチリだ!
おみくじは「吉」でした。
祖先に「ブログとYou Tube 頑張るよ」といっても理解してくれるかな?
とにかく仕事頑張ります。
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