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「まいぷら」と管理人のプロフィール

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はじめしまて! なおさん(@ichiryuu)です。

子供たちも巣立っていき、妻と2匹のワンコたちとブロガーとして第2の人生をスタートしたばかりです。

うちのブログ看板犬を紹介しておきます。

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ニケ

チワワのニケだよ。
名前は父ちゃんがギリシア神話の勝利の女神ニケからつけてくれたよ。

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アンジュ

先輩犬ラブラドールレトリバーのアンジュだよ。
名前は父ちゃんが大好きなリュック・ベッソン監督の「アンジェラ」からフランス語で天使(アンジュ)とつけてくれたよ。

管理人なおさんについて

なおさん生い立ち

誕生から少年期

アポロ計画で人類が月を目指していた頃に東京で誕生。
(まだテレビが高価だった頃、父と母は赤ん坊の僕を抱っこして東京のアパートの大家さんの部屋でアポロ11号の中継を見せてもらったそうだ。)

しかし僕は東京での記憶はまったくなく、2歳ぐらいの時に父と母の故郷である香川県に引っ越し、そこで物心がつく。

田舎で、すぐ近くに海があり、外で遊ぶことが大好きな野生児だった。
今思えば少々多動の気があったのではないかと思う。
小学校の懇談で先生から「この子は落ち着きがありません」と言われ、帰り道で母が泣いていたのを覚えている。

最初の転機 読書との出会い

中学生の時はバスケット部に所属。
その引退後の受験勉強中に映画「少林寺」(現ジェット・リー主演)を見て感動、高校から格闘技を習い始める。

その師匠から「男だったらこれを読まないかん!」と、頼みもしないのに段ボール一杯の本を渡されたのが高校1年の初夏。
当時本を読むのが大嫌いだった僕は、そのダンボールいっぱいに入った本を自分の部屋の片隅に置きっぱなしにして触りもしなかった。
冬が過ぎようとした頃に母が「あんた、先生から借りた本ほったらかしにしてたらあかんやろ! すぐに読みなさい!」と怒られて渋々読み始める。

ちなみにその本は、次の3タイトル

最初に読んだのは『宮本武蔵』。
正直言って面白くなかった。
いや、正確に言うと、ファンの方には申し訳ないけど、その生き方に全く共感できなかった。
自分の強さの証明のために試合をし続け、勝つためには子どもも斬り殺す。
一人の女性を幸せにすることもできず、弟子の一人も満足に育てられなかった。
そして最後は洞窟にこもって『五輪の書』を書いて終わる生涯に、一体何の意味があるのか?
ただひたすら自己満足の人生じゃないかと。

『宮本武蔵』ってかなりの長編小説で、読むのに時間をたくさん費やしたのに全然ワクワクしなかった。
正直言うとここでもう心が折れていたのに、借りている本はあと残り2タイトル。
そしてどっちも長編。
「ここは、違う著者の本を読んでみよう」と『竜馬がゆく』を読み始めてみたらこれがやたら面白かった!
 
小説の竜馬と実際の龍馬はもちろん違うのだろうけど、この時から僕の中に龍馬が住み始め、何かがかわり始めた。

それだけではない。
『竜馬がゆく』立志篇にこんなシーンがある。
盟友の武市半平太に、「学問をしようと思うが何を読めばいいか?」と龍馬が尋ねたとき、武市半平太がこう返すのだ。

「やはり歴史を読め」
といった。武市の説では、歴史こそ教養の基礎だというのである。歴史は人間の智恵と無智の集積であり、それを煮詰めて醗酵させれば、素晴らしい美酒が得られる、と武市はいうのだ。

『竜馬がゆく 立志篇』

これを読んだ瞬間、「俺、歴史を勉強しよう」と史学科への進学を決意。

さらには残る『三国志』も読んで夢中になり、すっかり歴史小説にハマってしまう。

また、当時大好きだった斉藤由貴さんが「ヘッセが好き」と言ったものだから、新潮文庫で出ていたヘルマン・ヘッセの小説を高校3年生の夏休みにすべて読んで文芸小説の面白さにも目覚め、以来本の虫となる。

ちなみにこの夏休み明けの模試で現代文の偏差値が一気に10点アップ。
63を超えた。
この体験から、

言語もツール、ツールである以上使えば使うほど熟練する。
だから本を読めば読むほど読解力は上がる。


という信念を得た。
(関係ないが、この模試の国語の点があまりにも急に良くなったので、担任の先生に呼び出されてカンニングをしたのかと尋問された)

ただ、「大学に行って歴史を勉強するぞ!」と目標は決まったものの、高校3年間は格闘技にハマって全然勉強しなかったから、1年浪人してしまう。
浪人の1年間は死ぬ気で勉強した。

次の年、関西大学の文学部史学地理学科に入学。
関大には結局大学院まで6年間お世話になった。
この間相変わらず海外作家を中心に小説を読み続けながら、山登りしたり、バイクで一人旅をしたり、自分探しの貧乏旅行に明け暮れる。
後半の3年間はふたたび道場にも通った。

そして、バブルが弾けきった頃に香川県に帰って高校教師として働き始める。
もともと史学科に進む時に、「将来は天下国家を担える人材にちゃんとした歴史教育をしたい」と高校教師を志望していたからだ。
同級生はちょうどバブルの超売り手市場で一流企業に難なく就職していく中、「教師なんてやめとけよ」と周りから言われつつも、僕は最初から目指した道を歩み続けていたわけだ。

教師として働き始めてからは薄給だけど仕事も楽しく、結婚や子育てなどありふれた人生のステージを経験しつつ、平々凡々とした真面目な勤め人人生を歩んでいた。
その頃はこのまま平和に人生をつつがなく終えるのかと思っていたが・・・

第2の転機 脳腫瘍見つかる

2005年11月、首を寝違えて診察を受けに行った整形外科医でCTを撮影したら偶然脳腫瘍が見つかる。

当時、通勤に自宅から車で1時間かかる遠距離の、しかもとんでもなく忙しい高校に勤務していて、「死なない程度の病気になって、1年ぐらい休職したい」と考えていたら本当にそうなってしまった。
『思考は現実化する』のは本当だったのだ。

それはともかく、とにかく手術したくない僕は、通院して経過を観察しつつも問題を先延ばし先延ばしし続けていた。
しかし、次の年の6月、左の頬の感覚がなくなっていることに気づき、さらに唇の左半分がしびれ始めて、ついに覚悟を決める。

ただ、手術を受けるなら凄腕のスーパードクターに頼もうと思い、色々調べて大阪の某スーパードクターに診察してもらった。
(通常、腫瘍摘出の手術の後に残った腫瘍を放射線治療するまでが1セットなのだが、当時、四国にはピンポイントで放射線治療が行えるガンマーナイフを備える病院がなかったのも一因)

そのとき「先生、(腫瘍は)とれますか?」と尋ねた僕に、「とれるよ、すくなくともこの病気で死なない体にしてあげるよ。あなたの寿命を40年伸ばしてあげるよ」と言われ、この人に命を預けようと決める。

しかし、ビビリの僕は手術の前日、もう怖くて怖くて仕方なかった。
逃げ出したい衝動を何とか抑え、あまりにも怖いので、病院のベッドの上に座り、神様にお祈りをしたのだった。

「神様、もし手術が成功して元気になったら、残りの人生は世のため人のためこの国のために尽くします」

その甲斐あってか、12時間に及ぶ手術を2回うけ、無事に生還したのだった。

ブログの始まり 讃州屋一龍の誕生

2006年12月、手術を終えて退院、自宅に帰ってきたが、2回目の手術で右の三半規管を失った僕は平衡感覚を失ってしまった。
めまいとふらつきが激しく、残った左の三半規管だけで平衡感覚を保てるようになるまで自宅療養をすることになった。

年を越して2007年。
体は元気なのに動けない。
時間は有り余るほどあったので、日がな一日ネットサーフィンする日々だった。
そんな時に出会ったのが「俺と100冊の成功本」という書評ブログだった(現在はほとんど更新されていません)。
管理人の聖幸さんの軽妙な語り口と、もともと成功本にハマっていた読書好きの僕は、「こういうブログをやってみたい、自分でもできるんじゃないか」と身の程知らずにも思ってしまい、2007年6月にブログを始める。
それがこのブログの始まり。
当初は「一流への道」というブログタイトルで、讃州屋一龍と名乗って書いていた。

その年の後半、勝間和代さんが大ブレーク。
ビジネス書ブームが起こり、僕も書評記事を量産するようになり、以後は書評ブログとして進むことになる。

ただ、この頃はプロブロガーという言葉もない時代で、ブログで食べていけるとはまったく思ってなく、でも「将来はブログで食べていけたらいいなぁ」ぐらいに淡い希望を持っている程度だった。

第3の転機、専業ブロガーへ

2007年9月に約1年の病気休職から職場復帰。

僕の体調を考慮してくれたのでしょう、翌2008年4月に特別支援学校に転勤。
生徒は手がかかるものの、自宅から近く、部活がなく、定時で帰れるのは本当にありがたく、また校長先生は「うちでリハビリしていけ」と言ってくれて、本当に最初の1年はかなり優遇してもらったけど、2年目からはバリバリ働かされた。

結局5年間この学校にお世話になったが、その間体力ももどり、体の方は完全に回復。
そして、その間もずっと続けたブログはある程度成長していた。著者さんや編集者さんとのつながりもでき、田舎で教師をしつつ外の世界とも繋がりができた。
しかし「僕は特別支援学校の教員じゃないし、そろそろ普通の高校に戻りたい」と転勤希望を出したところ、2013年に定時制高校勤務を命じられる。

当時の校長曰く、「あなたの体調を考慮して」とのことだったが、自宅から25km離れた学校に通って夜の勤務をすることの一体どこが「体調を考慮して」のことなのか?
そして何よりも納得できなかったのが、定時制勤務はこれが教員生活で2度目ということだった。
組織への不信感が生まれた瞬間だった。

また、家庭では2人の子どもがそれぞれ高校と大学受験を控えて大切な時期なのに、父親の僕は完全にスレ違い生活となるし、塾の送り迎えなど子育てのすべてを妻が一人で負担することになった。

転勤先で家庭の窮状を訴えてもなんの対処もしてもらえず、組織への不信が一気に積もっていった。
それと同時に命令一つで生活スタイルの変更を強要され、勤務を続けるために家族を犠牲にするこの働き方にも疑問を持ち始める。

そして密かに、「5年後に退職する」ことを決意した。
(ちなみに5年後は下の子が高校を卒業するタイミング)
定時制で1年生から4年生まで持ち上がりで担任を1クール終えたあと、2017年4月に最後の勤務校に転勤。
心のなかでは「あと1年」と思っていたが、この転勤時に担任になったのが2年生。そして2年縛りのとある役職にもつけられてしまい、「あと2年頑張る」ことに軌道修正。

新しい学校での1年間は無我夢中のうちに終了。
最後の1年が始まり、3年生の担任と、ある運動部の香川県大会と四国大会の開催責任者として準備に忙殺されている5月、ストレスでずっと吐き気がし、食事も喉を通らない状況でどんどん体重も減少。
「ああ、俺この仕事をあと3年続けたら死ぬな」と実感する日々が続いていた。

そんな時期に行われた校長との面談で「来年は〇〇主任をお願いしたい」(超多忙でストレスフルな役職)といわれ、脊髄反射的に「辞めます」と退職の意向を伝えた。

さすがに校長も驚いて強く引き止めてくれたが、僕としてはもうこの仕事に見切りをつけた感じだった。

その後、3月に最後に担任をした生徒を卒業させ、同じく3月下旬に部活関連の春の全国大会の責任者も務めてすべての仕事をやり終えて退職。
最後の最後まで激務で、世にいう有給消化というものをやってみたかったが有給休暇は30日残ったままだった(ほんと買い取ってほしいよ)。

2019年3月29日、退職の辞令交付式で教育長から辞令をもらったその足で旅に出かけ、京都の坂本龍馬のお墓に「脱藩」の報告をし、そのあと伊勢神宮に参拝

僕の脱藩浪士生活が始まった。

坂本龍馬(左)と中岡慎太郎(右)の墓

なおさんのストレングス・ファインダー

タイトル
  1. 【戦略性】「戦略性」の資質が高い人は、目的に向かうための選択肢を想定することができます。いかなる想定に直面しようとも、適切なパターンと問題点を直ちに予測することができます。
  2. 【内省】「内省」の資質が高い人は、知的な活動に多くの時間を費やします。内省的で、知的な議論が好きです。
  3. 【最上志向】「最上志向」の資質が高い人は、個人や集団の卓越性を高める手段として、強みに注目します。優れたものを最高レベルのものに変えようとします。
  4. 【親密性】「親密性」の資質が高い人は、他の人たちとの緊密な関係を楽しみます。目標達成のために友人と努力することから、大きな満足感を得ます。
  5. 【着想】「着想」の資質が高い人は、新しいアイデアを考えるのが大好きです。見た目には共通点のない現象に、関連性を見出すことができます。
ストレングス・ファインダーやってみました!【書評】マーカス・バッキンガム&ドナルド・O・クリフトン『さあ、才能(じぶん)に目覚めよう』(日本経済新聞出版社)

なおさんの好きなこと(もの)

  • 本と読書:ビジネス書を中心に年間200冊の読書を目標にしています
  • 映画:好きなジャンルはアクション、戦争、歴史、SF。年間100本ぐらい観ています。
  • アップル製品:今ではiMac、MacBook AiriPadApple Watchなどなど、アップル製品に囲まれて生活しています。iPhoneは3Gからのユーザー。
  • デジタルガジェット:デジモノ全般に好きです。新しもの好きですね。
  • 文房具:仕事の道具としてこだわっています。特にモレスキンや手帳好き。
  • :キャンプや車中泊しながらの気ままな旅が好き。
  • アウトドア:僕のアウトドアは旅の手段。
  • 登山:植村直己さんに憧れて学生時代に登山をしていた。最近また登り始めたばかり。身近な低い山から再挑戦。
  • 城:城巡り大好き。日本100名城全て登城するのが目標。
  • 世界遺産:世界遺産検定2級。いずれ遺産をめぐる旅をしたい。
  • 陶芸:一時本気で陶芸家に転職を考えていた。自宅に工房あり。
  • 格闘技:もうさすがに体が動かないから今は観るだけ。
  • さぬきうどん:ソウルフードであり、准主食。

ブログ「まいぷら」について

このブログの変遷

ブログタイトルの変遷

2007年6月25日 FC2でブログ開設 ブログタイトル:「一流への道」、ハンドルネーム:讃州屋一龍

2014年1月 ライブドアブログに引っ越し、ブログタイトル「一流への道 立志篇」

2016年4月ブログタイトル「Neo Liberal Arts Blog 一流への道〜立志篇〜」に変更

2018年6月 ブログタイトルを「Neo Liberal Arts Blog」のみに変更

2019年4月 独立を機にブログタイトルを「My Life+」に変更、さらに「まいぷら」に変更。ハンドルネームも「なおさん」に変更
   8月 ライブドアブログからはてなブログに引っ越し
   12月 はてなブログからWordPressに引っ越し 

ブログコンテンツの変遷

当初、書評ブログとしてスタート。
ちょうどビジネス書ブームだったのでしばらくはビジネス書の紹介記事を中心にしていたが、その後、デジタルガジェットのレビューや旅の記録、そして地元さぬきうどん情報なども書くように。
徐々に自分の好きなものをコンテンツに追加していき、現在では雑記ブログとなっている。

基本的にレビュー記事が中心で、これまでは仕事に役立つ本や、効率アップするデジタルガジェットを主に紹介してきたが、僕自身が50歳で独立したので、今はブログの大きなテーマに「ライフシフト」を据えるようになった。

今後もレビュー記事を中心にブログを運営していくが、これからは人生を楽しく、豊かにしてくれるモノのレビューを増やしていく予定。

「まいぷら」ブログミッション

ここまで僕の生い立ちや、ブログの変遷などを書いてきたが、当初、書評ブログとしてスタートしたので、ブログミッションは

良い本を紹介することで、世の中に少しでも良い影響を与えたい

キャッチフレーズも

読書で人生を切り拓こう開!日本を元気にしよう!

というものを掲げていた。
そして独立を意識しだしてからは

人生をより良きものとするための情報を発信する

ということもミッションに加えていた。

そして独立した現在は、50歳からのライフシフトを大きなテーマとして掲げているため、人生の後半を豊かにするような記事をもっともっと書いていきたいと考えている。

で、「人生を豊かにするもの」ってなんだろうと考えた時に、役に立つモノ(本)レビューも大切だが、結局僕がワクワクしてのめり込める物を紹介していくのが一番いいんじゃないかという結論にいたった。

人生100年の時代、ちょうど後半が始まったばかりの同じ世代の方たちに、僕みたいなやつでも人生楽しく生きているよという姿を発信することが、「自分のためのオリジナル人生」を取り戻す手助けになるんじゃないかと。

突然ですが、ここで次の5つの言葉は何だと思いますか?

  1. 人の期待に沿うのではなく、もっと自分が望むように生きるべきだった
  2. あんなに一生懸命働かなくてもよかった
  3. もっと自分の感情を出せばよかった
  4. もっと友達と連絡をとればよかった
  5. 自分をもっと幸せにしてあげればよかった

これはオーストラリアの看護師が書いた本『The Top Five Regrets of Dying』で紹介されている、人生の最後を迎えた時に患者たちが語った、死ぬ間際に最も後悔する5つのことだそうです。

これを読んで何を感じますか?
僕はこれを初めて読んだとき、強烈に「このままじゃ僕も同じ後悔をする」と感じ、焦り始めました。

このブログを読んでくれた方が人生を終える時に、「あのときあのブログに出会えたことで後悔しない人生を生きることができた」と言ってもらえるようなブログにしていくことがこのブログのミッションだと考えている。

そのためにも、まずは僕自身の人生をワクワクで埋め尽くさないとね。

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