
おはようございます!
今日ご紹介する本は、
外山 滋比古 (著)『50代から始める知的生活術~「人生二毛作の生き方」~ 』だいわ文庫
です。
当ブログではライフシフトを大きなテーマとして掲げています。
「知の巨人」外山滋比古先生が実践されている知的生活術は気になるところですが、僕は「人生二毛作」という考え方にすごく惹かれました。
今回の読書メモでは、「人生二毛作」の考え方やそのポイントを中心にピックアップしています。
外山 滋比古 (著)『50代から始める知的生活術~「人生二毛作の生き方」~ 』:読書メモ
★人生二毛作
人生は、二毛作がいい。
同じ耕地で、一年のあいだに異なる作物を栽培することを二毛作といいます。同じ作物を作るのは二期作です。二期作ではなく、二毛作がいい。最初に歩んだ道とは異なる、別の生き方をする人生を考えました。
二毛作というとき、農業では、1度目の作つけを表作、2度目の作付は裏作ですが、人生の二毛作は、決して「裏」ではない。もちろん余生などというものでもありません。
第一幕の人生とは趣を変えて、むしろ第一幕をしのぐほどの楽しさと充実感に満ちた生活を迎える。それが人生の二毛作です。
★40代になったら「将来」を考える
人生の二毛作を志すなら、40代から準備を進めておくことです。これまでの私の人生を振り返ってみて、起点は40代だったと思います。一般のサラリーマンでも、それは同じでしょう。第二の人生が定年後に始まるとして、超高齢社会になった現在では、まだ30年も、場合によっては40年もセカンドステージが待っているのです。
その長期戦に備えるためには、早くから、2度目の作付の準備をしておかなければなりません。自分の畑にどの作物があるのか。最初は、試行錯誤も必要でしょう。それを始めるのが40代というわけです。
★育成すべき作物とは
ただ、1つ言えるのは、一毛作時代の「得意」には固執しないほうがいいということです。商売をやっている人なら別ですが、サラリーマンの場合はもともと、自分の本来の価値観とピタリとはまったものを仕事にしているわけではありません。
そのことを、組織のエスカレーターに乗っているうちに、いつの間にか自分の「得意」と思い込んでしまっていることもあります。
もし、あるとき人生の二毛作を志したのなら、そのエスカレーターはいったん降りて、自分の足で上る階段を見つけた方がいいでしょう。階段もなければ、自分ではしごを作るくらいの気概があってしかるべきです。
★50代で「意思的な決断」
もっとよいのは、定年を迎えてからの再就職ではなく、50代の半ばで「意思的な決断」をすることです。
先が見える50代で、このまま会社に残ってもたかが知れていると第二の道を選択した人がいたとします。もう一方は、定年まで、あるいは定年後も雇用延長で会社に残っていた人。この2人を比べると、60歳以降の10年間、20年間はあきらかに違ってくるでしょう。
もちろん、前者の方が、活力に満ちた第2の人生になるはずです。
50代の転職が大きなリスクをともなうことはたしかです。しかし、転職しないまでも、定年後にすぐ二毛作の実行計画をスタートさせられるよう、50代からそれに沿った準備行動をとった方がいいのではないでしょうか。
★賞味期限切れの友情
かつて高齢者の集まる講演に呼ばれたことがあり、私はこんなことを言いました。
「若い時の友人関係は、もう賞味期間が切れています。賞味期間の切れたものは、捨てて、買い替えないといけないのです」
捨てるというのは少々乱暴な言い方ですが、現実に目を覚ましてもらうために、こういう言い方をしたのです。要は、かつての関係に執着しないということです。
新の友を作るなら、やはり同業者を避けたほしが賢明です。年代もバラエティーにとんでいたほうが楽しい。自分が年をとればとるほど、付き合うのは年下が多くなりますが、若い人の話は新鮮で、自分もつられて若返ります。
★第2の天性
人生を2度生きる。2度目の人生が惨めなものとならないようにする、人生二毛作の考えは、この”第二の天性”に注目しなくてはなりません。
つまり、知識中心、生まれつきのまま、と言う生き方を変え、毎日の生活を規則正しく、資料ぶかく、人に迷惑をかけず、自らを成長させていく生活を続け、生活習慣を作れば、それがすなわち、その人の第二の天性となるというわけです。
★”どうせ”は禁句
年をとって、第一の人生が終わると、もうあとはない、あっても余生だと勝手に決めてしまいがちです。まわりにそういう人が多いからかもしれません。自分を大切にする心を失ってしまうのです。どうせもう仕事を辞めたんだから、どうせ、することもないのだから・・・などと、”どうせ”という心理が先に立ちます。この”どうせ”を封じるのが、年長者の知恵ですが、なかなか、その心境に達しないのが実際です。
人生を2度生きようとするには、このどうせという考えを捨てて、我が身を大切にして進む心がなくてはなりません。
外山 滋比古 (著)『50代から始める知的生活術~「人生二毛作の生き方」~ 』:感想
◆人生100年時代、二毛作がスタンダードになる
外山滋比古先生は1923年生まれですので今年95歳。
東京教育大学をスタートに長らく大学で教鞭をとり、1999年にお茶の水女子大を退職されて、本書のテーマのように「人生二毛作」を実践されています。
ライフシフトを現在進行系で行っている方です。
そして、ライフハック系の方のバイブルともなっているこちらの本はことに有名。
当ブログでもこの本の紹介記事は今でもよく読まれています。
そんな「知の巨人」が提唱する生き方は「人生二毛作」。
これは本当に言い得て妙。
「ライフシフト」よりも「二毛作」のほうが、特に農家の小倅だった僕はしっくり来ます(ブログタイトル変えようかな)。
香川県の場合、夏は米を作るんですが、冬場は小麦を作るんですね。
この米と麦って、どっちが上でどっちが下ってないじゃないですか。
人生だってそうだと思うのです。
「人生100年時代」って、言い換えれば人生において「夏」が2回あるようなもの。
決して2回めの「夏」はおまけでもなんでもない。
「夏」そのものなんです。
◆50代がベストタイミング
ところが今はまだ2度めの夏を「二毛作」で実りあるものにしようという人はそれほど見かけません。
実際、僕の旧職場では圧倒的に定年後も雇用延長を希望する人が多数。
価値観や判断は人それぞれですが、そういう人たちを見たときに、65歳で「ハイ終わり」となったときに自分に何が残されているか考えないのだろうか? と、いつも思っていました。
本書で外山滋比古先生がおっしゃるタイムテーブルはこう
30代で、将来を見据えた資産形成の第一歩。40代で、自分を生かせる「もう一つの仕事」の発見。そして、50代が「もうひと苦労」するための適当な時期
僕も実感として、50代がラストチャンスと考えますね。
その理由は体力。
まだ多少なりとも無理が効くのは50代まで。
60歳をまだ経験していないけど、ちょっと無理なような気がしています。
とはいえ、著者の外山滋比古先生が大学を完全に退職されたのはなんと76歳のとき。
ここから新たな人生を構築されていったわけですから、「二毛作」に入る時期に遅すぎるということはないのかもしれません(先生ご自身は本書の中で速いほうがいいとおっしゃってますが)。
ともかく
「人生二毛作」を実行するかしないかは別として、早くから意識しておき、働きながら選択肢として常に持っておくことは無駄にならないでしょう。
なぜなら、今後働き方の環境が激変していくことは間違いないので。
最後に少しだけ物足りなかった点を。
やはり、先生が二毛作に突入するのが遅かったためか、本書の内容は割と「隠居生活」に近い内容に感じられました。
「隠居生活」ではなく、「第2の人生もバリバリ働くんだ!」という方には物足りなさを感じるかもしれません。
どちらかというと、「仕事はそこそこでいい、残りの人生をじっくり味わいたい」という方におすすめです。
目次
はじめに
第1章 意気軒高八十代へ向けて
第2章 脳を生き生きとさせる
第3章 つきあいの作法
第4章 知的生活の知恵
第5章 新しい人生を切りひらく
おわりに
関連書籍
外山滋比古先生のおすすめ著書。