新年最初の【書評】は、ビジネス書ではなく
もっとも塩野七生氏のような大先生の本を書評するなど、いくらワタクシが”日本を代表する書評ブロガー”でもできるわけもなく・・・(←おいおい、恥ずかしげもなく言い切ったで! 冗談ですよ)
思ったことなどを少々書かせていただきたく・・・ (←めっちゃ弱気)
海賊
はじめに
第1章 内海から境界の海へ
イスラムの台頭
サラセン人
海賊 ほか
間奏曲 ある種の共生
「イスラムの寛容」
イスラム・シチリア
地中海の奇跡 ほか
第2章 「聖戦(ジハード)」と「聖戦(グェッラ・サンタ)」の時代
海賊行つづく
イタリア、起つ
ノルマン人がやって来た! ほか
第3章 二つの、国境なき団体
「救出修道会」
「救出騎士団」
巻末カラー 「サラセンの塔」
【所感など】
とても内容をまとめたりできないので、先述した(?)ように今回はいつものフォーマットとは違った書きかたで。
歴史好きのワタクシにとって年末年始の風物詩となっていた、『ローマ人の物語』シリーズが2007年末で完結し、「今年の年末年始はちょっとさみしいなぁ」と思っていたところ、リアル書店で本書を見つけて嬉しくて購入してしまいました。
しかもこれ上巻でして、今年の年末に下巻が発売。
少なくともあと一回は”年末年始の風物詩が楽しめる”。
本当に塩野先生、ありがとうございます。
こうなったらファンとしては、「神聖ローマ帝国亡き後・・・」とか「ナポレオン亡き後・・・」とか現代まで書き続けてほしいところ。
◇歴史書の楽しみ方
「賢者は歴史に学ぶ」とよく言います。
歴史書や歴史小説を読むときの楽しみ方にはいろいろあると思いますが、オーソドックスなのは”現代に置き換えて読む”というものでしょう。
本書はローマ帝国滅亡後、いわゆる「中世」を舞台に書かれています。
年代で言うと西ローマ帝国の滅亡(476年)からコロンブスの新大陸到達(1492年)の約1000年です。
この時代のヨーロッパは蛮族の侵入につづいて新興勢力のイスラムの侵略をうけ、それに対処しようにもローマ帝国という強大な秩序と軍事力はもはや存在しない、精神的支柱であるローマ教皇は存在しても軍隊を持っていない。結局各国や都市国家が自衛しなければならないという動乱と暗黒の時代。これが中世の前半。
そしてそれに耐えながら力を貯え、紀元1000年頃を境にイスラム勢力に反攻を始め、ルネッサンス、大航海時代へと続く。これが中世の後半です。
本書を読んでいて現代を顧みるとき、どうしてもローマ帝国をアメリカに置き換えて読んでしまうのはワタクシだけではないのでは。
世界の超大国アメリカが経済破綻し、これまでの世界秩序を維持できなくなり、かつ、文明文化的ベースの違う新興勢力が台頭してきたらと想像して読んでしまいます。
そしてなにやら本当にそんな時代が来そうな予感。本書にはそんな時代のヒントとなるのではないでしょうか。
例えば、ベネチア、ジェノバといった海洋都市。
十字軍を支え、イスラム勢力の海賊行為には強固な姿勢を示しつつ、北アフリカ地中海沿岸のイスラム勢力と交易によって利をあげている。そのしたたかさ。
やはり、宗教やイデオロギーの違いを超えて人と人を結びつけるのは経済活動なのか。
それから本書後半の主役となる「救出修道会」と「救出騎士団」
イスラム勢力の海賊行為で連れ去られ、奴隷とされたキリスト教徒の救出を十字軍のような軍事行動ではなく、お金で買い戻して開放する団体。
これなどは現代のNPO法人の活動に置き換えて読むことができます。
政府レベルではなくこういった非営利団体の活動が混沌の時代のカギとなるのでは。
そして、シチリア島でのキリスト教徒とイスラム教徒の共生。
最近亡くなられたサミュエル・ハンチントン博士が主張するような文明の衝突を回避するための小さいながらも一つのモデルケースとして読むことができます。
もちろん「歴史は繰り返す」といっても全く同じ繰り返しをするはずもなく、現代を乗り越えていくのは今生きている我々がいかに考え行動するかなのでしょうが・・・
かといってワタクシが考えても全くもって世の中に影響力がないので、できれば某国の総理に「漫画ばっかり読んでないでこの本読め!」と言いたい。
とりあえず、もう一度『ローマ人の物語 』シリーズを通して読みたくなった一龍でございます。
海洋都市国家理解のために、この本も一緒に読むことをお勧めします。
【読書カード】(気になったところの抜き書きです)
★イスラム勢力の急速な拡大の要因
◇キリスト教側の見方・・・「新興の宗教が常に持つ突進力と、アラブ民族の征服欲が合体した結果」 ⇒ 「右手に剣、左手にコーラン」
◇イスラム教側の見方・・・「イスラム教の教えの真正さに人々が感銘を受けたがゆえ」
○「武器を持たない預言者は自滅する」(マキャヴェリ)
○情報とは、量が多ければそれをもとにして下す判断もより正確さが増す、とは、まったくの誤解である。情報とは、たとえ与えられる量が少なくても、その意味を素早く正確に読み取る能力を持った人の手に渡った時に、初めて活きる。
○「聖戦」を、イスラム側では「ジハード」と呼ぶ。同じ言葉をキリスト教側では、「グェッラ・サンタ」と言う。聖戦とは、他の神の存在を認めないことが最大の特質である、一神教の間でしか成り立たない概念なのであった。
○小さな共同体内での自給自足と聞くと理想的で平和な生活かと思ってしまうが、実際は無駄の多い生き方なのだ。別の住民共同体では多量に生産され、そこから買えば済むものまでも“自給”しなければならないからである。これがまた、生産性の低下に結びつくのだった。
○衰退しつつある国の特質は、決めるのも遅いがその決めたことを実行するのも遅い、というところにある。
○「平和(パクス)」とは、安全を保障するだけでではない。人間の間に横たわる距離を、縮める効用もある。
○「ザカート」・・イスラム教徒に課される税
→(直訳)「裕福な人が、貧しい人の餓死を放置したとしたら感じるであろう悔恨の情を、清めるため」に財布のひもをゆるめる
課されて払うのではなく、あくまでも自発的な寄付行為・・・略・・・イスラムの世界でも、貧しきイスラム教徒に助けの手を差し伸べることを目的に設立された、事業体に寄付する、という形になる。現代のキリスト教国が問題にしているのは、その事業体からテロリストたちに金が流れているということなのだが、貧しく困っているイスラム教徒への援助団体がテロリスト集団とつながりがあったとしても、論理的に文句のつけようがない。
○怨念を抱き続けていると過去にばかり想いが行きがちで、現在や未来の可能性は目に入らなくなってしまうのだ。
○交易立国はごく自然に、情報立国にならざるをえなかった
○平和と安全を意味するこの「パクス」は、他国の軍隊から自国民を保護するだけでは成り立たないとローマ人は考えていた。盗賊・山賊・海賊のような人間社会の敵からの保護も充分でなければ、社会の平和も個人の安全も達成できないと考えていたのである。
○新たな文化文明は、いかに内部の強力な後援があろうと、外部の、つまり異分子による刺激がないところには生まれないのであった。