なんとポジティブで、なんと力強いことか。
その人生に裏付けされた珠玉の言葉が、私たちを勇気づけてくれます。
そして人類のすすむべき方向も。
【目次】
はじめに
Ⅰ 思いやり
Ⅱ 忍耐
Ⅲ 怒り
Ⅳ 幸福
Ⅴ 責任感
Ⅵ 平和
Ⅶ 死チベット仏教における「輪廻転生」について
チベット苦難の歴史
私の見たチベット
おわりに
【ポイント&レバレッジメモ】
★思いやりとは、「自分を自由にする手段」
会い、ゆるし、思いやりにより、私たちは希望と決意を手にし、より明るい未来に向かって進むことができます。
怒りや憎しみに負けてしまえば、道に迷い、苦痛に満ちた人生を送ることになってしまいます。しかし、許しの気持ちを身につければ、その記憶にまつわる負の感情だけを心から手放すことができるのです。
つまり、愛、ゆるし、思いやりとは、「相手を無罪放免にする手段」ではなく「自分を自由にする手段」なのです。
★真の敵は内にいる
社会生活でも個人の日常の生活の中でも、今日の敵が明日の味方に、またその逆で今日の味方が明日の敵になることはよくあることです。このように敵というものは固定したものではなく、うつろいやすい存在です。
明日は見方に変じるかもしれない敵を憎み、怒ってみても、何の利益もないどころか、心がかき乱され、安らぎを失います。
このように怒りや憎しみは常にあなたにとって有害なものなのです。それを自覚して、心を訓練し、そのマイナスの力を弱めるようにしてください。
怒りと憎しみこそが、私たちの本当の敵なのです。
これこそ私たちが全面的に立ち向かい克服すべき相手なのであり、人生に時としてあらわれる一時的な「敵」は真の敵とはいえないのです。
★「自分を大切にする」ということ
もし本当に自己中心的になりたいというのなら、逆に利他主義に徹してみるべきだ、と私はよく冗談に言います。
他人の面倒をよく見てやり、幸せを考えてあげ、手を貸し、世話を焼き、もっとたくさんの友人、たくさんの笑顔をつくってみてください。
その結果、どうなるでしょう。
あなたが助けを必要とした時、大勢の支援者が集まるでしょう。
その反対に、他人の幸せを無視していけば、長い目で見れば、あなたは敗者になっているでしょう。
★垣根は失われた
今日の世界は、人類がひとつにつながることを求めています。過去においては、それぞれに孤立した社会が、互いを基本的に別個のものとして考え、全くの孤立状態で存在することができました。
しかし今日では、世界のある場所で起こる出来事が、この地球全体に影響を与えるようになっています。
ですから、それぞれの地域の重大な問題を、その発生の瞬間から全世界的関心事としてとらえる必要があります。
もはや互いを引き離す国家的、人種的、イデオロギー的垣根を持ちだす時代ではありません。それよりもグローバルな視点に立って、困難解決に協力しあうべきなのです。
★不必要に「豊かな生活」はやめるべき
高度に発展した国々に住む人々は、今こそ生活様式を見直すべきです。これは倫理や道徳とはあまり関係がありません。
発展途上国に生きる人間もまた、生活基準を向上させる同等の権利を持っています。
富んだ人間だけに与えられた、不必要に豊かな生活を保障すること以上に大事な課題が、世の中にはあるということです。
自然界に取り返しのつかないダメージを与えることなくこの課題に取り組むことで、富める国は他への良い手本とならねばなりません。
さもなければ、いつの日か向上し続ける生活基準の代償を手痛く支払うことになるでしょう。
★他を尊重する
1種類の食べ物で人が満足できないように、一つの宗教で万人を充足させることはできません。
人それぞれ心の性質が違います。ある人はある種の教えから益を得、別の人はまた別の教えから益を得るのです。
それぞれの宗教は、すばらしい、温かい心の持ち主を作り出す可能性を有しており、異なった哲学を信奉していても、そういう人々を生み出すことに成功しています。
ですから、宗教的頑迷によって他の宗教を拒絶したり、対立したりする理由はどこにもなく、どんな精神的な実践をも励まし、尊重してゆくことの方が大切です。
★いつの日にか「いなくなる」ことを認識して生きる
極めて世俗的な意味での無常、いつの日か自分はこの世からいなくなるだろうという無常観を持つことができれば、それだけでも十分です。
これに加えて、人の体にいかに大きな可能性が秘められているかを認識できれば、「貴重な人生の一瞬一瞬を活用しなくては」と一種あせりの気分が生じます。
この種の情熱と意気込みを培って生きるのです。
【感想など】
巻頭の“はじめに”に訳者三浦順子さんが
本書はダライ・ラマ法王が、仏教の実践者としての立場から一般の人に与えたアドバイスの集大成です。
と書いているように、精神的逆境に立っている人へのアドバイス集といえる内容となっています。
これまでワタクシは、チベットに関して、その歴史や政治的諸問題については個人的に関心はあったものの、ダライ・ラマ14世の伝記や、彼が説くチベット仏教の教えにはあまり関心がなく、ちゃんと読んだことはありませんでした。
というのも、ワタクシ自身が仏教をあまり好きではないからでした。
その理由の一つは、シッダールタ(後の釈迦)には妻子もあり、王国の皇子という責任ある地位にありながら、自分の悩みや苦しみをを解決し、解脱を目指すために出家してしまうこと。
出家というと聞こえがいいのですが、要するに妻も子も責任も地位も名誉も捨てて家出したんですよ。
それも30歳ぐらいで。
30歳といえば、昔ならもういい大人じゃないですか。
それがすべてを捨てて家出なんて、同じ男としてどうしても尊敬できない。
そして、その家出の原因となる悩み苦しみの根本が、「この世のすべては苦しみである」というものすごくネガティブな無常観だったこと。
ですので、これまで仏教関係の本はどちらかというと敬遠してきました。
ところが、今回本書を読んで、ダライ・ラマ14世の言葉に触れ、そのネガティブなイメージは一掃されました。
なんとポジティブで積極的。
なんと力強い言葉。
幸福とは自ら作り出すものであり、それは心をコントロールすることで得られる
という非常にシンプルな教えを、言葉を変え、例えを変え、繰り返し繰り返し語りかけてきます。
この言葉、自己啓発所好きの方なら、「そんなこと知ってるよ」と反応してしまうぐらい定番中の定番です。
ですが、ダライ・ラマのこれまでの苦難を思うと、彼がこれを言えること自体が尊敬に値すると思えるはず。
また、ワタクシが非常に驚いたのは、上記【ポイント&レバレッジメモ】でもとりあげた、「他を尊重する」でした。
一つの宗教で万人を充足させることはできません。
宗教的頑迷によって他の宗教を拒絶したり、対立したりする理由はどこにもなく、どんな精神的な実践をも励まし、尊重してゆくことの方が大切です。
この言葉は、一つの宗派の指導者の口から、そうそう聞くことはできない言葉でしょう。
さらに、
もはや互いを引き離す国家的、人種的、イデオロギー的垣根を持ちだす時代ではありません。それよりもグローバルな視点に立って、困難解決に協力しあうべきなのです。
何よりも彼自身が、国家的、人種的、イデオロギー的力によって祖国を出ていかざる得ない状況になった人。
そして、国家的、人種的、イデオロギー的に垣根をつくって祖国の独立を訴えてきた経緯がある人。
そのダライ・ラマ14世が「もうそんな時代じゃない」というに至ったということは、諸国を放浪してきた彼の人生そのものが“悟りの道”だったのではないかとも思えてしまうのでした。
釈迦が、個人の悩み苦しみからスタートして、大吾に至るように、個人の心のありようから、人類のすすむべき方向まで力強い言葉で綴られた本書。
写真家松尾純さんのチベットやブータンの美しい写真とともに旅してください。
本書は、大和書房編集者の白井様より献本していただきました。
ありがとうございました。
【関連書籍】
【管理人の独り言】
“出会いが人生を変える”とよく言いますし、ワタクシも経験上その通りだと思います。
そして、最近人生を変えるかもしれない出会いをしてしまいました。
誰と?編集者さん?作家さん?ブロガーさん?
いえいえ、違います。
この子です↓
最近毎日ペットショップに会いに通ってます。
昨日初めて抱っこし、今日はワクチンや健康状況まで店長さんと話し込んでしまいました。
飼ってしまうかも・・・。
こんにちは。
ゴータマが悟った後、妻も子も出家してゴータマと同じ教団内にいることになったようなのでよいのではないでしょうか。
あのまま国王に成るよりも、
仏陀となった方が大勢の人を幸福にできたのですから
初めに妻子を捨てたことはやむを得ないと思います。
捨てなければ得られないとは啓発本の決まり文句ですし。
すごい指導者ですよね!
なべ 様
こんにちは。コメントありがとうございます。
考え方や信念は人それぞれ。
何に一番の価値を置くか、何を守り何を捨てるかという点で、私とブッダは相入れない。
ただそれだけのことです。
齊藤 様
そうですよ、国という基盤を失っても、多くの人の精神的支えになっている。
すごい指導者です。