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「えっ、ウソ!?」、常識を覆された!誤解だらけの廃藩置県

おはようございます、一龍です。

今日ご紹介するのは八幡和郎さんの『消えた都道府県名の謎』 。
江戸時代の藩から現在の47都道府県にいたる歴史を各県事に解説してくれている本なので、それぞれの都道府県の歴史を知るのも楽しいのですが、僕にとって衝撃だったのは

序章 なぜ、都道府県の数は47なのか 誤解だらけの廃藩置県

でした。
今までの常識を覆された、一部をご紹介したいと思います。

「えっ、ウソ!?」常識を覆された!誤解だらけの廃藩置県

★「戊辰戦争で反政府側だったところは藩名と違う県名にさせられた」は都市伝説

 明治4年夏に「廃藩置県」が行われたときは「3府302県」でした。しかし、近代的な国のあり方を確立するためには、1万石から100万国までサイズが大小さまざまで、飛び地が全国あちこちに存在する県があるのを、そのままにしておくわけにはいきませんでした。そこで、その年の秋に行われた「第1次府県統合」で「3府72県」としました。
県名は廃藩置県の段階では府県庁が所在する都市名としましたが、第1次府県統合の時からは、その所在する郡名をあてることが多くなり、さらに少数ですが、県庁所在地を変更したのに県名はそのままとか、まったく別の発送で名づけるところも出てきました。
その時に、「戊辰戦争で反政府側だったところは藩名と違う県名にさせられた」という話がありますが、これが全く根拠がない都市伝説だと言う事は、序章で説明すると通りです。

★江戸時代に藩という概念はなかった

 それでは「藩」というのが本来は何かというと、古代中国で僻地については郡県制を敷かずに軍司令官に任せて支配させていた制度のことでした。そこで、新井白石に代表される儒学者が日本の大名領国がそれに似ていると主張し始めて「藩」と呼んだのです。しかし、大名がいるのは僻地だけではありませんし、朝廷ではなく幕府との関係で同じ言葉を使うのはおかしいということで一般化しませんでした。
大きな大名だと自分の領国を「国」と呼んでいました。上杉鷹山が「伝国の辞」という後任者への心構えを残したのは、そういう意識を反映したものです。
なぜか長州では自国のことを「長藩」と呼ぶことが流行っていました。そして、それを全国の志士たちが真似るようになり、だんだん一般化して、明治になって正式名称に「藩」が採用されたのです。

★最後にできたのは香川県

現在の47都道府県が確立し確定したのは、明治21年12月3日に香川県が愛媛県から分離独立した時です。

★大きなお城がない県庁所在地の共通点

 県庁所在地は、アメリカやフランスでは地理的な中央が重視されましたが、日本の場合は重要都市かどうかと、県庁に使いやすい施設があるかどうかで選ばれました。
 城下町が多いのはもちろんですが、幕府領の代官所があったところも好都合でした。とくに府藩県三治制のもとでは旧幕府領の代官所を模様替えして県庁機能を置くことが多く、それがそのまま第1次府県統合ののちに県庁に移行しました。

★県名と県庁所在地名が一致しない間がある理由

 県名は県庁所在地の名前が原則ですが、県庁所在地が所在する郡名(江戸時代以前に使われた郡名が基本)が多くなり、さらに特殊事情でそれ以外の名前になっているものも少しあります。三重は四日市が県庁だったころに郡名から名づけられ(現在の県庁がある津は安濃郡でした)、栃木は栃木市に県庁があった名残です。

★新政府が統治に苦労したのは官軍側に立った県

 むしろ新政府が統治に苦労したのは官軍側に立った県です。強圧的に押さえ込めませんし、はじめは地元の元藩士が県庁にたくさんいたため、名前を変えたり、県庁を移したりと、かなり苦労してその影響力の排除を試みています。金沢県が郊外の美川(石川県白山市)に移って名称を石川県に変更したのがその例です。九州は勤皇藩が多いために県庁所在地の名がそのまま県名になっていると主張する人もいますが、佐賀、大分、宮崎、鹿児島は都市名そのものが郡名が由来なのですから、仕方ありません。

感想

◆廃藩置県から生まれた都市伝説

今回は本書の冒頭部分、

序章 なぜ、都道府県の数は47なのか 誤解だらけの廃藩置県

より、今まで常識だとされてきた(僕だけかもしれませんが)ことについて、覆された点をピックアップしました。

明治維新で新政府に”移行”した日本ですが、最初は江戸時代の「藩」をそのまま行政単位で引き継ぎます。

その数300余り。

この狭い国土にこれは多すぎますよね。

この300あまりの行政単位が整理されていく中で消えた県名があることは知っていましたが、その過程でいくつかまことしやかな都市伝説も誕生していたことを今回知ることができました。

その一番いい例が

「戊辰戦争で反政府側だったところは藩名と違う県名にさせられた」

というもの。

私の住む香川県もこれにあたリ、「高松藩は水戸藩とつながりが深いからそうなったのか」と思っていました。
しかし何の根拠もないもので、たんに郡名を県名にしただけの事だったんですね。

また、さらに驚いたのは江戸時代には「藩」という概念がなかったというもの。

にわかには信じ難いのですが、言われてみればなるほど「藩」ではなく「国」という概念だったというのはわかります。
あるいは「家」といってもいいのかな。

戦国時代以後、隣の「藩」は「外国」なんですよね。

それにしても江戸時代からたかだか150年ぐらいしか経っていないのに、当時の感覚とか常識ってわからなくなるものなのですね。

◆2度消滅した香川県

さて、本来この本は、47都道府県の成り立ちを解説してくれているもの。
それぞれ興味のある都道府県の解説を楽しんでいただけたらと思います。

僕は当然、まず最初に香川県の個所を読みました。

地元のことでも知らないことってたくさんありますね。

香川県が形成される段階で愛媛県など隣県と統合分離を繰り返したことは薄っすらと知っていましたが、2度消滅したとか、47都道府県で最後に分離した県だということを初めて知りました。

また、高松県とか丸亀県だった時もあったんですね。

きっと読まれたら初めて知る地元の歴史に出会えることと思います。
郷土の歴史を知っておくのもなにかの役に立つと思いますし、そしてなにより楽しいですよね。

本書はイースト・プレス社様より献本していただきました。
ありがとうございました。

目次

はじめに  都道府県名の謎を知れば、地図を見るのが10倍楽しくなる!

序章  なぜ、都道府県の数は47なのか   誤解だらけの廃藩置県
第1章  北海道・東北編  戊辰戦争の影響で誕生した「幻の県」の数々
第2章  関東編  県庁が日本橋にあった「品川県」、千葉にあった「葛飾県」
第3章  中部編  松本にあった「筑摩県」消滅の裏事情
第4章  近畿編  なぜ「彦根県」「姫路県」は存続しなかったのか
第5章  中国・四国編  地図から「香川県」「徳島県」が消えた時代
第6章  九州編  「佐賀県」「宮崎県」がいったん消滅した理由

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